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髙橋 祥さん(岩手県立高田病院 医師)

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復興対談シリーズ ~ Talk for Recovery (第8回)
岩手県立高田病院 医師 髙橋 祥 さん
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今回の対談は、震災後に北海道から陸前高田に来て、治療だけでなく予防の観点もふまえた地域医療活動に取り組んでおられる髙橋さんにお願いしました。髙橋さんと私は2012年2月からのお付き合いですが、縁が深まるきっかけになったのは、対談にも登場しますとおり、ある方の仮設住宅で一緒にご飯を食べた夜でした。今回の対談は、その同じ部屋で、あの日と同じように鍋を囲みながら行いました。

1. 北海道での専門医の職を辞して陸前高田へ
古森: こんばんは。今日はお疲れのところ有難うございます。この対談シリーズでは、東北被災地の復興の現場で活動しておられる方々のお話を伺って、一人称の視点での情報発信を心がけています。髙橋さんが取り組んでおられる、広い意味での地域医療の一環としての「はまらっせん農園」のことなども含め、お話を伺えればと思います。ざっくばらんに鍋をつつきながら(笑)。どうぞよろしくお願いいたします。

髙橋: こちらこそ、よろしくお願いします。私の話がそんなに役に立つのかどうか分かりませんが、お話しできることは何なりと。食べながらで、失礼します。

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古森: どうぞどうぞ、食べながらで。そもそも髙橋さんは、北海道のご出身で、震災前は小樽の病院で勤務しておられたのですよね。陸前高田とは、何かご縁があったのですか。

髙橋: いいえ、実は中学校3年生の修学旅行で平泉に来たくらいで、他には特に縁らしいものはありませんでした。自分の意思で岩手県に来たのは、2011年が事実上初めてだったということになります。

古森: 最初にこちらに来られたのは、いつでしたか?

髙橋: 震災後2ヵ月半くらい、5月末でした。医療支援でどこかの被災地に入るということは心に決めていたのですが、具体的な行き先の目処をつけるために山田、宮古、釜石などをまわりました。

古森: 最初は陸前高田ではなかったのですね。そこから、どのような経緯で陸前高田に?

髙橋: 山田の被災状況は目を覆うばかりでしたが、医療という点では、既にある程度医師が入る目処が立っていました。そして宮古と釜石は、病院自体が残っていましたので、最低限の機能は維持されていたのです。それで、他にもっと困っている場所があれば、そちらにまわったほうが良いのではないかと思いました。

古森: なるほど、そして陸前高田へ。

髙橋: はい。岩手県医療局の方々に連れて行っていただきました。津波の爪あとはどこも同じくらい悲惨でしたが、陸前高田では県立高田病院が壊滅的打撃を受け、被災を免れたコミュニティーセンターで運営されていました。また、私の専門分野は消化器の分野なのですが、おりしも高田病院で内視鏡を担当していた医師が復職できない状況にありました。

古森: 医療機能自体が打撃を受けていたうえに、髙橋さんの専門性を生かす形で貢献できる機会があったのですね。

髙橋: それに、支援で来ていた若手の医師が、「支援はしたいが、ここでは専門医になっていく上での経験を積むことが出来ない」と悩んでいました。医師としての専門性を高めていくためには、それぞれの専門分野でたくさんの患者さんと接する必要があります。私がこちらを担当することで、その若手医師がもとの病院に早く戻れるようにしてあげたいと思いました。それで、9月1日に正式に採用されまして、4日の月曜日から着任しました。

古森: 奇遇ですが、その同じ週に私も陸前高田に来たのでした。そのときの色々な出会いが、今の「Komo’s英語音読会」などの活動につながっています。なんだか、奇妙なめぐり合わせですね。ほとんど同じ時期に陸前高田に縁ができていたなんて(笑)。

髙橋: ほんとですね(笑)。

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古森: それで、着任後の日々というのは、どんな感じだったのですか。

髙橋: 陸前高田では、地域医療のネットワークが十分に機能回復していない状況でしたし、医療ニーズを抱えた患者さんも数多くいらっしゃるので、自分も役に立っているという感じがありました。一方で、正直なところ、何かまだ不完全燃焼のような気もしていたのです。

古森: 不完全燃焼?

髙橋: はい。うまく言えませんが、忙しいといっても、四六時中走り回っていたわけではないのですよ。日本全国から短期のリリーフでたくさんの医師が交代で来ていましたので、病院のキャパシティという面では何とか確保できている状態でした。

古森: なるほど。9月時点では、高田病院としてもある程度円滑に機能できていたのですね。

髙橋: 災害後のストレス蓄積で、通常は胃潰瘍などの問題が出てきます。それで、診療のために内視鏡を使う必要性も増えるかなと思っていましたが、実際のところはそうでもありませんでした。7月末に仮設診療所が完成しましたが、11月までは内視鏡が整備されておらず、赴任当初は設備的にも高田病院では対応できないという面もありましたし・・・。もちろん、本当に疾患自体がないのであれば、それはそれで良いことなのですが。

古森: それで、とりあえずご自身の専門分野との関係はさておき、地域医療の中で多様な医療ニーズに対応する日々を送っておられたのですね。

髙橋: そうですね。訪問診療では、不便な山間部まで出かけて行く場面も多々ありましたから、役に立っているという感覚はありましたよ。やはり、患者さんの生活の実像まで理解してこそ出来る治療やアドバイスもありますから。ただ、これが「自分でなければ出来ない役立ち方なのか」と、自問自答する日もありました。

古森: 北海道での専門医の職を辞して飛んできたという文脈を考えると、そのお気持ちは分かります。でも、髙橋さんは、たぶん訪問診療というスタイルはフィットしていますよね(笑)。目に浮かびます。

髙橋: ははは。おじいちゃん、おばあちゃんと話をするのが昔から好きですからね(笑)。

 

2. 「仮設住宅×畑=心身の健康維持」という着想
古森: 私が初めて髙橋さんから連絡をいただいたのは、今年(2012年)の2月中ごろでしたかね。ちょうど、訪問診療を続けながら自問自答されていた頃なのですね。

髙橋: そうでした。訪問診療の合間に寄った「りくカフェ」で、たまたま「Komo’s英語音読会」の告知ビラを見たのです。当時は、仕事と平行して夜の時間などに医学研究論文を読んでいました。北海道で取り組んだ胃がん治療の効果判定に関する研究がありまして、それを医学雑誌に投稿するつもりだったのです。ところが、なかなか思うように進まず、英語そのものも、論文向けに書けるほど得意というわけではありませんでした。それで、ちょっと手伝ってもらえないかという「よこしまな気持ち」で(笑)、古森さんにメールを入れてみたのです。

古森: ははは、よこしまな気持ちだったのですね(笑)。でも、私は私で、縁を感じていたのですよ。以前は医薬品分野で経営コンサルティングをしていた頃もあったので、普通の人に比べれば医学分野の英語がわかります。「ああ、これは神様のはからいだ。何かお手伝いしないと」と思いました。結局、「はなそう基金」の会員の一人である宮田さんと私の協働で、翻訳をお手伝いしましたね。

髙橋: 3月から、「Komo’s英語音読会」にも参加するようになりました。論文翻訳のすりあわせを進めながら、毎月1回の音読会で英語力をブラッシュアップする形で。

古森: 翻訳作業の最終化でお会いしたのが、4月末でしたね。病院で論文の打ち合わせを終えてから、髙橋さんがふと、「被災した高田病院を見ますか」とおっしゃるので、是非にとお願いしました。既に旧高田病院は「病院関係者以外立ち入り禁止」になっていましたので、高田病院勤務の髙橋さんにご案内頂けるというのは貴重な機会でした。病院内部をくまなく歩いて、何が起きたかをあらためて痛感しました。

髙橋: 私自身も震災当時にここにいたわけではありませんから、聞いたことをお話しするしかないのですが・・・。でも、他の地域から支援で高田病院に来た方々には、出来るだけ「何が起きたか」を説明するようにしています。震災時に病院のスタッフが撮影した写真なども見せながら。

古森: その後、カフェに行きましたね。米崎のアップルロードに上がっていく道の途中にあった、喫茶クローバーに。

髙橋: そうそう、そうでした。クローバーは、今は移転して、アップルロードのほうにありますね。

古森: クローバーで話していたら、髙橋さんが、「今日はこれからどうするんですか」と聞くので、「親しくしているOさんという方の仮設住宅に言って、いつものように晩ご飯を一緒に食べますけど」と答えました。そしたら、「へぇ、僕も一緒に行ってもいいですか」と言うので、「もちろんどうぞ」と。

髙橋: 鍋を囲みながら色々と話し込んで、結局夜も11時半頃までいましたね。古森さんは途中から居眠りしていましたが(笑)。ある意味、衝撃でした。それまで、訪問医療を含め色々な方にお会いしていましたが、あのような近い距離感で地元の人とお話ししたのは、よく考えたら初めてだったのです。しかも、被災された方の仮設住宅でずうずうしく居眠りしている人が。ああ、こんな感じでいいのかなと思いました。

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古森: その翌日、髙橋さんは再びOさんに会って、一緒に某仮設住宅の花見に参加されたのでしたね。「髙橋先生が花見で酔っ払って、人気者になってるよ!まあ、変わるもんだねぇ!」という知らせが、Oさんから来ました。今度はOさんが驚いているようでした。

髙橋: 自分の中で、何かが変わった瞬間でした。それまでは診療を通じて、医師と患者さんという関係で地域の人々と向き合う日々でした。医師という立場上、自分の心の中で一定の距離を置いていた面もあったと思います。しかし、あの日を境にして、もう一段深く、人間として地元の人々に溶け込むことが出来るようになりました。

古森: その花見のときに、仮設住宅の向かい側に設けられた畑を見たということでしたね。

髙橋: そうです。土地の所有者はOさんで、震災後に仮設住宅の方々に無償で畑として提供しておられました。聞けば、そこで畑仕事をしている人たちは、仮設住まいのストレスの中でも明るく楽しく、和気あいあいとしているということでした。震災後に仮設住宅にバラバラに入居せざるをえず、コミュニティの崩壊が各所で問題化していましたが、その仮設住宅は比較的早期に「人の和」が生まれたようでした。それにも、畑が一役買っているようでした。

古森: それで、「仮設住宅×畑=心身の健康維持」という図式を思いつかれたわけですか。

髙橋: いいえ、そのときはまだ、「なるほど、畑かぁ。皆さんたしかに、生き生きしてらっしゃるなぁ。」と感じただけでした。それで、まずは「自分もやってみようかな。」と思いました。

古森: なるほど。まずはご自身でやってみようと。

髙橋: それで、古森さんに連れて行ってもらった「佐藤たね屋」さんに再度立ち寄って、さっそく野菜の種を購入しました。「よかった菜」という名前のコマツナの種だったと思います。佐藤さんに色々とアドバイスいただいて、まずは宿舎のベランダのプランターに種をまいてみました。

古森: そのコマツナの「芽が出た!」という感動を、髙橋さんがfacebookに掲載されていたのを思い出します。

髙橋: 自分で実際に種を蒔いて芽を出して、その育ち行く様子を見ながら喜びを感じていたら、なぜあの仮設住宅の人々が生き生きしていたのかが腑に落ちました。「ああ、野菜を自分で育てるというのは、こういう喜びがあるのか。これを基点にして、あの人たちは生き生きとしていたのか。なるほどなぁ。」と思いました。

古森: 見えていた現象に、皮膚感覚が宿ったのですね。

髙橋: 時を同じくして、地元の方々が「震災前は畑をやっていたけど、今はできなくて残念だ」という話をしているのが耳に入ってきました。生活習慣病の診療をしている際に運動不足を指摘すると、「昔は畑が・・・」という言葉が出てきたりしまして。

古森: きっと、そういう言葉はずっと髙橋さんのまわりに漂っていたのでしょうね。ご自身で皮膚感覚を持ったことで、その言葉の意味がアンテナに引っかかるようになったのかもしれませんね。

髙橋: そこから自然に、農園プロジェクトのことが頭に浮かびました。仮設住宅にお住まいの方々が畑仕事を生活に組み入れることが出来るように、高田病院による地域健康増進プロジェクトとして取り組んで行きたいと考えて、5月24日に石木院長に提案書を出しました。それが、「はまらっせん農園」プロジェクトです。「はまらっせん」というのは、こちらの言葉で「どうぞ、入っていらっしゃいよ。」という意味です。楽しいよ、皆でやろうよ、というメッセージを込めた名前にしました。

古森: 石木院長さんの反応は、どうでしたか。

髙橋: 「ああ、いいんじゃない。」という、あっさりしたものでした。もともと、震災前から地域医療を点ではなく面でとらえて様々な活動を推進しておられた方ですから、すぐに趣旨をご理解いただけたのだと思います。高田病院の公式の健康増進プログラムとして進めて行けることになりました。

古森: 地域の中核病院の医師が主導する、地域健康増進プロジェクトとしての仮設住宅隣接菜園のプロデュース。被災地全体を見ても、大変ユニークな取り組みが誕生した瞬間ですね。

3. 農園を立ち上げるために歩き回る

古森: 髙橋さんが陸前高田の人々と人間として交流する中で見聞きしたもの、経験したものが融合して生まれた「はまらっせん農園」。しかし、まずは土地がないと話になりませんよね。土地を借りる交渉も、髙橋さんがご自分でされたのですよね。

髙橋: そうです。まずは、動いてみました。目に入った仮設住宅に飛び込みで訪問して、近隣地に畑を設けることへのニーズをヒアリングしました。仮設住宅のそばに空き地を見つけたら、その地主さんにも話をしてみました。

古森: 県立病院の医師が、飛び込みインタビューですか!

髙橋: 飛込みで話を伺っているうちに、「ああ、ニーズは確かにあるな。」という確信を得ました。それで、より体系的に情報を得るために、今度は陸前高田市内の全仮設住宅の自治会長さんにお電話して、ご意見を伺いました。

古森: 着想を得て企画を練り、まずは自分で動き始めてみて、そこから得たフィードバックをもとに、さらに体系的な情報収集へ・・・。起業家的な動きですね。

髙橋: 高田病院の公式プロジェクトという「信用」があったので、動きやすかった面もあります。いきなりドアをノックしたり、電話をかけたりした場合でも、「高田病院の健康増進プロジェクト」ということで、怪しまれずに話を聞いていただけました。中には、「珍しい医者だ、ご飯食べて行け。」だとか、「泊まっていけ。」というお声がけもいただきました。そういうお誘いにも、まずは乗ってみて、深く話を聴いてみるということを心がけていました。

古森: しかし、それにしても県立病院の医師が仮設住宅の菜園用地を借りて歩くとは・・・。色々ご苦労もあったことでしょうね。

髙橋: それは、一筋縄ではいかない面もありましたが、それはわずかで、ほとんどの地主さんは喜んで貸してくれました。お金のことなども何も言わずに。仮設住宅に入っておられる方々の笑顔が生まれるなら・・・と思って、楽しみつつ頑張りました。

古森: 「はまらっせん農園」の第一号が成立したのは、いつでしたか。

髙橋: あれは、6月末でしたね。横田地区の仮設住宅です。嬉しかったですね。それからも必死に歩き回って、「機会があるなら畑をやりたい。」という仮設住宅の方々のニーズと、「そういうことなら貸してもいいよ。」という近隣地主の方々のご意向とを丁寧にマッチングしていきました。

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 (Photo: 第一号となった横田のはまらっせん農園)

 

古森: 最終的には何カ所になりましたか。

髙橋: お盆の頃までに8カ所になりました。秋野菜の植え付けに間に合うタイミングまでに一通りの立ち上げをしておく必要がありましたので、お盆の時期をデッドラインにして動きました。

古森: 数ヶ月で一気に8カ所ですか。陸前高田の中を車で走っていると、時おり、「はまらっせん農園」の看板を目にします。しかし、5月の段階で初めて野菜を育てた髙橋さんが、「秋野菜の植え付けまでに・・・」なんて、急に詳しくなられましたね。

髙橋: 実は、その後も「佐藤たね屋」さんに月2回くらいのペースで通いまして、何をいつ頃植えるべきかなど、ご指導をいただいていたのです。

古森: なるほど!「佐藤たね屋」さんに通って、ひそかに勉強しておられたのですね。

髙橋: いざ農園を始めるとなると、他にも悩ましいことは色々と出てきました。例えば、農具や肥料をどうするか。私は差し上げてもいいと思っていましたが、そうなると、すべての方々にご提供しなければなりません。また、「道具や肥料をそろえていくところから畑仕事なんだ。そこから自分でやらなきゃだめなんだ。」「仮設では物をもらうことが当たり前になっている。これ以上、用立てするのは良くない。」というお声もいただきました。どこまでこちらでご用意して、どこから先を仮設住宅の方々にやっていただくのが良いのか、線引きには随分と悩みました。

古森: 「はまらっせん農園」の一つに蛇が出て、それがきっかけで畑をやらなくなる人が出てきたという話も、うかがった記憶があります。畑地ですから蛇が出るのは防げないでしょうが、そんなことまで気に病んでおられたのですよね。

髙橋: まあ、色々とありました。その農園はちょっと足が遠のいていたところでしたので、企画の言い出しっぺとしても反省しました。でも、その畑にもおばちゃんは戻りましたし、すべての畑でたくさんの野菜が収穫できるようになって、畑に来ている方々の笑顔を何度も見ることができました。それを見て、私も本当に嬉しかったですね。

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4. 丸の内行幸マルシェへ

古森: その秋野菜の収穫の一部が、先日「丸の内行幸マルシェ」に出品されましたね。当日、「はまらっせん農園」の記事が読売新聞の全国版に大きく掲載されましたので、驚きました。あれは、どのようなルートでたどりついたのですか。

髙橋: ルートも何も、直接イベントの主催者に電話してみたのです。たまたま、テレビ東京の「アドマチック天国」という番組で丸の内行幸マルシェのことを見たのです。「ああ、こういうのに出せたら、みんな喜ぶんじゃないかな。」と思いつきまして。

古森: またしても、飛び込み型アプローチですか!恐れ入りました。

髙橋: 電話して、当方の趣旨などをご説明して、直接東京でお会いして、出店OKになりました。それが10月の終わりごろでした。

古森: マルシェの出店の日は、いつでしたかね。

髙橋: 11月22日 でした。決まってから当日まで、もう3週間しかないということで、大急ぎで色々な準備を始めました。農園の皆さんもやる気になって下さり、「あれを持って行け」「あれも出そう」と、盛り上がりましたね。

古森: 当日は、私も仕事を終えてから19時頃に駆けつけましたが、その時にはもう完売でした。そして、昼前の開店から夕方まで声をからして営業された髙橋さんにお会いしました。誰もこの人が医師とは思うまい、という風情でしたよ(笑)。結局、何をどれくらい持っていったのですか。

髙橋: そうですね、本当にたくさん運びました。ダイコン120本、ハクサイ30個、その他にニンジン、ネギ、ホウレン草、ツボミ菜、コマツナ、サツマイモ、ジャガイモ・・・など多数です。ほかにも地主さんがリンゴを提供してくれましたし、被災した餅屋さんが仮設住宅内で作った大福も持たせてくれました。運送はOさんの親族の方が東京に帰るワゴン車を提供してくれ、それに満載して運びました。

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古森: 「はまらっせん農園」の方も、3名いらしたとか。

髙橋: そうです。自費で交通費を払って来てくれました。皆さん、儲けようというつもりは全くないのですね。農園のほとんどの方々が、そうだったと思います。自分たちの作ったものが、他の地域の人々の手に渡って、食べていただける。それだけでもう、みんな良かったのだと思います。「儲けるなら野菜は出さない」なんていう人もいたくらいです。

古森: 私も陸前高田に通うようになって気づきましたが、「人に何かをしてあげる」「人に何かを差しあげる」という、「面倒見の文化」のようなものが、ここにはありますね。自分の持っているものや自分に出来ることを他人に提供して、「ありがとう」と言われることを喜びと感じる人々の文化。そういうのが、あると感じます。

髙橋: 私も感じています。もしかしたら、農園というのは「自分で野菜を作る喜び」だけでなく、震災以前からあった、「他人に何かを差し上げる喜び」を取り戻すきっかけにもなっているかもしれません。

古森: きっと、そうだと思います。

5. 医学的にも効果を確認

古森: 心身ともに健康に・・・という「はまらっせん農園」ですが、医学的にも効果が確認されつつあるようですね。

髙橋: はい。高田病院のプロジェクトですから、一応データもとらせていただいています。まず、仮設住宅に入居されている方で「はまらっせん農園」の参加者にヒアリング調査をしたところ、農園以前と以後で、明らかに統計的に有意な「生きがい感」の改善が見られました。この調査結果は、11月10日に盛岡で開催された「岩手県地域医療研究会」で敢闘賞を受賞することになりました。

古森: 素晴らしいですね。折しもその週末は、私も英語音読会で陸前高田に来ていましたので、表彰状を拝見しました。感動しました。

髙橋: 表彰は大したことではないですよ。もうひとつ、仮設住宅に入居していて、日常から同程度の運動をしておられる方々の中で、「はまらっせん農園」の参加者とそうでない方々の骨密度を比較した調査も行いました。こちらも「はまらっせん農園」参加者の方々のほうが、統計的に有意な改善効果が見られました。骨が丈夫になっていたのです。

古森: 「生きがい感」と「骨密度」。精神的な面と、物理的な面のそれぞれ象徴になるような角度で見て、いずれも「はまらっせん農園」の効果が医学的に確認されたのですね。きっと、それらに限定されず、色々な場面で好影響が出ているのだろうと思います。

髙橋: 12月24日には、今年の活動の締めくくりとして「感謝祭」を開催しました。おばちゃんたちのお陰で広がったプロジェクトでしたので感謝のイベントとし、多くの方々に来ていただき、参加者に互いの農園の様子を紹介するなど、楽しい時間を過ごしました。また、大晦日には、紅白歌合戦の一こまで、この農園がちょっと映りました。皆さん、いろいろなことを企画してくれありがとうと喜んでくれています。

古森: 5月に一念発起して、最初は飛び込みインタビューから始めて、年末にはここまで・・・。地に足のついた、素晴らしい取り組みになりましたね。本質的には、被災地に限らず、予防的活動も含めたこれからの地域医療のあり方に示唆を与える事例ではないかと思います。

髙橋: やっていること自体は、たいしたことではないのですよ。ある意味、震災前に多くの人々がやっていたことを、徐々に取り戻しているだけなのかもしれません。ただ、結果として起きている変化には、非常に大きなものがあると思います。

古森: 被災地復興の全体を見渡すと、大仕掛けのものはなかなか前に進んでいません。進めたくても進められない様々な現実的課題があります。そんな中で、この「はまらっせん農園」の活動は、小さくても確実に起きている大事な変化だと思います。こういう有機的な活動が、もっともっと、広がっていくといいなと思います。

髙橋さん、ありがとうございました。

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(End)

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