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福島兆子さん

復興対談シリーズ ~ Talk for Recovery ~ (第11回)

福島 兆子 さん

今回の対談では、2011年4月から毎月一回(当初半年は月に2回)のペースで震災被災地に神戸から通い続けておられる福島兆子さんにご登場いただきます。72歳というご年齢で夜通し車を運転して走り、時には体を痛めつつ、自らの年金をつぎ込んでまで通い続ける福島さんを動かしているものは、一体何なのでしょうか。風薫る5月、福島さんが東京に来ておられたところをキャッチさせていただき、お話を伺いました。

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1. 他人事ではない~阪神淡路大震災の記憶
2. 行先も決めずに走り出してしまった
3. 宮城県の白石から岩手県の陸前高田へ
4. みんなが元気になるきっかけを作りたい
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1. 他人事ではない~阪神淡路大震災の記憶

古森:こんにちは、ようこそお越しくださいました。色々とお忙しいところ、ご無理を申し上げまして本当に恐縮です。本日はよろしくお願いいたします。

福島:いえいえ、こちらこそどうも。古森さんは私の次女と同い年のようですし、気楽にお話しさせていただこうと思っております。

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古森:是非、ざっくばらんにお願いいたします。先日、陸前高田の某仮設住宅前でKさんにバッタリお会いしまして、その時Kさんから福島さんのことを伺いました。物資を持って毎月通っておられるとのことで、しかも神戸からお一人で車を運転して。これは、是非お話をうかがわなければと思ったのです。

福島:ええ、私もKさんから古森さんのお話をうかがいました。先日は、古森さんたちが出版を手伝われた双子ちゃんたち(注:吉田恵美・由美姉妹、「詩と絵で綴る陸前高田~大震災を乗り越えて」)と話をしていて、はなそう基金のことなども聞きました。あの本、もう15冊買わせていただいたのですよ。

古森:そうでしたか、ありがとうございます!福島さんは、毎月物資を運んで陸前高田に来ておられるわけですが、そもそもなぜ福島さんが東北被災地に通うことになったのか、まずその背景をお聞かせいただけますか。神戸在住とのことですので、やはり、阪神淡路大震災と関係があるのでしょうか。

福島:はい、原点はそこです。震災の記憶は、今でも私の中に、そして家族の中にも鮮明に残っています。忘れることはできません。

古森:福島さんも、当時被災されたのですか。

福島:幸い家族は皆無事でしたが、私の母の家と社宅として借りていた家が全壊しました。母は仮設住宅に入り、私たちはホテルや身内のマンションをへて、その後2年間仮住まいした後、今のマンションに落ち着いたのです。

古森:色々と、大変だったことでしょうね。

福島:そうですね。特に震災直後は、倒壊寸前の傾いた建物の下を車で通ったりしなければなりませんでしたから、怖かったですよ。しかし、私は主婦ですから。生活していくためにやるべきことをやる日々でした。女は強いのです(笑)

古森:震災で被災された当事者としての、生々しい記憶がおありなのですね。

福島:ですから、今回の震災も他人事ではないように感じました。実は、この一つ前、新潟の地震の時にも現地に行ったのですよ。震災から1週間目、1ヶ月目、1年目の都合3回、物資をもって新潟に行きました。「なんとかしなきゃ」と思いまして。

古森:そうだったのですか、新潟の時も・・・。

福島:「とにかく行かなきゃ」という思いで、車を走らせて柏崎まで行きました。原発が近かったせいか、発災当時は柏崎から降りることができませんでした。しかし、物資を積んでいたので特別に降ろしていただいて、現地に届けることができました。

古森:「なんとかしなきゃ」という思いを、福島さんは実際に行動に変えられたのですね。

 

2. 行先も決めずに走り出してしまった

古森:東日本大震災の被災地へは、最初はどのような経緯で行かれたのですか。

福島:新潟の時と同じなのですが、特に具体的な行先は決めずに走り出してしまったのです。「とにかく、行かなきゃ」ということで。

古森:とにかく、動き始めてしまった・・・。

福島:はい。最初はどういうものが必要かもわからないので、まずは最低限の物資を積んで、神戸から車を走らせました。発災からちょうど一ヶ月目のことです。大きな余震があったあの時、ちょうど私は白石の青少年センターに居ました。

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古森:お一人で、神戸から東北へ。私も毎月東京から車で行きますが、それでも片道550キロ、かなり大変ですよ。それを神戸から・・・。

福島:走り出してしまって、さて、どうしようかと。東北道の国見サービスエリアについたところで、宮城県庁に電話をしてみました。「神戸から一人で物資を持ってきた」「個人なので大人数には対応できない、少人数の避難所を紹介していただけないか」ということを言いました。

古森:そこでいきなり電話ですか!なんだか、福島さんの行動パターンが少しわかってきました(笑)

福島:そうしましたら、県庁の方から白石の避難所を紹介されましてね。100人弱のところです。まず市役所へ行って下さいということだったので、市役所に行き、そこから避難所にたどり着きました。それが青少年センターでした。

古森:そこで、持参した物資をお渡ししたのですね。

福島:はい。もっとも、最初はニーズがわからないので、持ってきたものをお渡ししつつ、具体的なニーズを聞きました。それで、2週間後に再度、ニーズに沿うものをたくさん積み込んで白石へ戻って行きました。

古森:なるほど、そのあたりはやはり、ご自身も被災された際のご経験が生きているところかもしれないですね。物資を受け取る方々のニーズが分からない、送られて来たものが実際は役に立たなかった、などという話を、当時色々なところで聞きました。福島さんの場合は、ニーズを直接聞いて適確に動かれたのですね。

福島:個人ですからやれることに限界がありますし、きちんと役に立つものをと思いましてね・・・。結局、白石の避難所には月2回のペースで半年通いました。避難者の数は時を追うごとに80名、50名、30名・・・と減って行きまして、震災後半年で避難所も閉鎖になりましたので、その時まで通いました。その後も、時々立ち寄っています。

古森:毎月2回、物資を満載した車を運転して神戸から白石まで。それだけでもすごいことだと思いますが、さらにその後、福島さんは陸前高田へ通うようになるわけですね。

 

3. 宮城県の白石から岩手県の陸前高田へ

古森:陸前高田との縁は、どういう風にして始まったのでしょうか。

福島:白石のほうの活動が収束する頃、ちょうど大船渡の状況をインターネットで見る機会がありましてね。「ああ、これは行かないといけないな」と思ったのです。

古森:もしかして、それで走り始めてしまった・・・?

福島:そうなのです(笑)大船渡に行って誰に会うかなどは、決めていませんでした。とにかく、行こうと思いまして。

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古森:しかし、大船渡に向かった福島さんがなぜ陸前高田に?隣町ではありますが、当初の目的地ではないですよね。

福島:偶然の出会いです。大船渡に行く途中に、ちょっと陸前高田によってお野菜を買ったのです。そのとき店にいた人と少しお話しをしたら、その方も仮設住宅に住んでおられて、色々とお困りのご様子でした。それがご縁になって、そのまま陸前高田の仮設住宅のほうに通うことになったのです。

古森:福島さんらしい展開ですね・・・。

福島:最初にお伺いした仮設住宅は、かなり世帯数の多いところでした。個人でそのすべてをお世話するのは難しかったので、自治会長さんにご相談した結果、70歳以上の一人住まいの方に物資をお届けすることになりました。当時、15名がいらっしゃいました。

古森:なるほど、そういう時に自治会長さんに相談されるというのも、とても大事なプロセスですね。

福島:その後、世帯数が少なく物資支援が届いていない仮設住宅があることを知りまして、そちらのほうも通うことになりました。訪問時に、ご縁のできたKさんの家に泊めていただくようにもなりました。

古森:単に物資をお届けするだけではなく、その活動を通じて、人間同士のコミュニケーションを大事にしていらっしゃるようですね。

福島:その通りです。知り合った方々とは、平素から電話でお話したりしています。

古森:すごく意味のあることだと思います。「物資の提供と受け取り」という関係ではなくて、物資をきっかけにして「新しい人間関係」が生まれているわけですよね。

福島:そうですね。その後さらに、別の仮設住宅に物資をお届けするようになりまして、最近の訪問時にはそちらの一部屋に泊めていただく形になっています。

古森:震災1年を過ぎたところで、いわゆる物資の支援というものはほとんど見かけなくなりましたね。私も一年間は続けましたが、そこでなんとなく区切りをつけました。でも、福島さんの活動というのは、本質的には「物資が足りているかどうか」という視点ではないのですね。突き詰めれば、「会いに行くよ」「また来るよ」ということなのだと思います。物資は、その触媒のようなものですね。

4. みんなが元気になるきっかけを作りたい

古森:今現在通っておられる仮設住宅では、訪問時に実際どんなことをされるのですか。色々な形で仮設住宅にお住いの皆さんと交流されているご様子ですね。

福島:そうですね、やはり毎月お会いしていますと、お互いに他人ではない感じになっていきますね。物資は、集会所にまとめて置くようにしています。そこから、皆さんで必要なものを持って行っていただく形にしています。

古森:お持ちする物資そのものは、どのようにして選んでおられるのですか。

福島:もちろん、ニーズはお聞きしています。そして、それを用意する際には私の友人たちもサポートしてくれています。私だけではなく、私のまわりの色々な人が資金を提供してくれたり、物資を託けてくれたりしているのです。

古森:福島さんを介して、色々な人の思いがつながっているのですね。

福島:食材などは、出来るだけ現地で購入して、それを皆さんと一緒に料理して食べるようにしています。サンドイッチを皆で作るとか。そうすると、ワイワイガヤガヤで楽しい場になります。私自身、それが楽しいのです。

古森:そこにこそ、意味があるんですよね。顔の見える、人間同士の触れ合いの場。

福島:それから、物資をお届けするだけではなく、仮設住宅にお住いの方々の手仕事の作品を関西や東京で売ることもあるのですよ。

古森:そうなのですか!皆さん器用ですからね・・・。本当に感心してしまいます。実際、売れる価値のあるものを、作っておられるのを私も色々とお見かけしています。そのようにして買い手が付けば、作る人たちも励みになるでしょうね。

福島:手作りの物(フクロウ・人形・洗濯バサミで作っているネコ)、そして、おやき・わかめ等を買って、それを関西や東京で売るようにしています。知人に買っていただくこともありますし、母校松陰学院のバザーなどで私自身が売り子になっていることもあるのですよ(笑)

古森:ご自身で売り子にまで・・・。

福島:私は出来るだけ明るい服装で行くようにしています。震災後しばらくの間は、着る服も地味なものが多かったのですよ。でも、それでは気持ちまで暗くなってしまいますからね。私が明るい服装で行くことで、皆さんも少し明るい服を着てみようかな、と思って下さればと。

古森:そういうところにも、気を配っておられるのですね。

福島:そもそも、72歳の私が車で運転して毎月来ているということ自体に、「がんばろうよ!」というメッセージを込めているつもりです。起きてしまったことは仕方がないのですから、前を向いて頑張っていこうよ、というのが私のメッセージなのです。私の訪問が、そうした変化のきっかけの一つになれていればいいなと思います。

古森:きっと、そういう思いは伝わっていることでしょう。最後に一つお伺いしたいのですが、今後の活動は、どうなっていくのでしょうか。

福島:そうですね・・・。家の中、別に借りている駐車場は、もう物資だらけですし、年金もほとんどこの活動につぎ込んでいますが、当面は必要とされることを続けていきたいと思います。一緒にサポートしてくれる友人もいますし。

古森:本当に、この活動にかけていらっしゃいますね。

福島:さすがにずっとこのままのペースで通うというのは難しいでしょうが・・・。これまで無理して運転してきましたので、年齢的にあちこち・・・・でも、手仕事の作品を販売するなど、色々な形で応援することはできると思います。

古森:福島さんと会うのを楽しみにしておられる方々が、たくさんいらっしゃることと思います。私自身も、福島さんのお話をうかがって、元気をいただきました。そろそろお時間になりました・・・。本日は、貴重なお話をお聞かせ下さり、本当にありがとうございました。次は、陸前高田でバッタリお会いしましょう!

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(End)
対談実施:2013年5月上旬

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