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第16回 佐藤博文さん(共立設計株式会社/農業生産法人きのこのSATO株式会社 代表取締役)

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復興対談シリーズ ~ Talk for Recovery ~

(第16回)

共立設計株式会社 代表取締役
農業生産法人きのこのSATO株式会社 代表取締役
佐藤 博文 さん

※2013年12月末、古森が恒例にしている
年末の三陸ご挨拶訪問期間中に、対談の
お時間をいただきました

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1. 「苦労」ではなく「チャレンジ」
2. 想像を絶する津波の被害
3. 確証も保証もない「武者震い」
4. 震災2日後からしいたけ供給を再開
5. きのこ事業のさらなる飛躍
6. 設計事業の再構築
7. 腕に覚えのある仲間で力を合わせて
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1.「苦労」ではなく「チャレンジ」

古森:お忙しいところにお時間をいただきまして、ありがとうございます。この対談シリーズは、東日本大震災の復興の現場で活躍しておられる各界の方々のお話を伺い、学びや示唆を世の中に発信していく取り組みです。よろしくお願いいたします。

佐藤:こちらこそ、よろしくお願いいたします。

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古森:本当にお忙しいご様子で・・・。恐縮です。佐藤さんは、「共立設計株式会社」という測量・土木・都市計画などの分野でのコンサルティング会社と、食品の世界では有名な「農業生産法人きのこのSATO株式会社」の両方の代表をしておられるのですね。

佐藤:そうです。共立設計の方が事業としては母体になりまして、きのこのSATOはその事業多角化が成功したものです。

古森:東日本大震災では、両方の事業が被災されたと伺っております。色々なご苦労が多々あったことと思いますが、今日までの歩みをお聞かせいただければと思います。

佐藤:そうですね・・・。「苦労」というのは、していないんですよ。

古森:相当な被災状況だったと伺っていますが。

佐藤:私は、最初から「ひどい被災状況だが、これはチャンスだ。チャレンジだ。」と思うようにしてきました。ですので、震災後これまで「苦労」という意識を持ったことはないのです。

古森:失礼いたしました。捉え方としては、チャンスへのチャレンジなのですね。そのチャレンジのお話を、是非お聞かせください。


2. 想像を絶する津波の被害

古森:震災発生時には、どちらにいらっしゃったのですか。

佐藤:あの時は、仕事の関係で仙台にいました。ただ事ではない大きな揺れでしたから、設計関係という職業柄、「津波」はすぐに覚悟しました。夕方の5時頃に仙台を出発したのですが、高速は使えず、下の道を走って陸前高田に向かいました。陸前高田の情報を知りたくてワンセグやラジオのスイッチを入れましたが、情報は全く入ってきませんでした。

古森:不安だったことでしょうね。

佐藤:はい。情報がまったく入って来ないというのは、二つに一つだと思いました。一つは、防波堤などで津波を防ぐことが出来、助かったからというシナリオ。もう一つは、津波で壊滅状態にあるから情報さえも出ないというシナリオ。結局、23時頃に陸前高田の手前まで来ました。山の中に車を停めて、不安な気持ちのまま車中で一晩明かしました。

古森:なんとか、その日のうちに近くまでたどり着いて・・・。

佐藤:翌朝、山を越えて国道340号を走り、陸前高田の中心部に向かいました。途中で、消防の人に会ったので陸前高田の状況を聞いてみました。すると、「陸前高田は全滅だ」ということでした。悪いシナリオの方だったのです。そして、市の中心部を見渡せる高台に行き、何もかもなくなってしまった姿を目の当たりにしました。朝5時頃のことでした。

古森:震災発生翌日の早朝、まさに被災直後の町を見られたのですね。

佐藤:自宅は流され、本社事務所やその周辺にあったきくらげのハウス7棟も全壊して基礎だけになっていました。高台から、その基礎だけになってしまった様子が見えたのです。地震が来ればそうなるだろうということは、チリ津波の際に8.5Mの高さの津波が陸前高田を襲ったことからも覚悟はしていました。それで、もしもの時のために高台に倉庫を置いていたのですが、そこも津波に飲まれてしまいました。これは、さすがに想定外でしたね。

古森:まさに想像を絶する規模の津波だったわけですね。しかし、被災を免れた施設も一部あったとか・・・。

佐藤:はい。山手に7棟のしいたけハウスがありまして。もとより、津波のことを考えて高台に建てていたのですが、そのすぐ近く、ほんとうにギリギリの所で津波がとまっていました。きくらげの培養棟も、難を逃れました。

古森:きのこの施設の全滅は何とか免れたわけですね。設計の会社のほうは、全滅だったのですか。

佐藤:そうですね。いわゆる会社のハード面の資産という意味では、たしかに全滅でした。すべて流されてしまいました。しかし、設計の仕事はモノよりも「腕」が勝負です。いうなれば、社員の皆が持っている腕=技術こそが本当の資産だと思います。その部分は、残されました。

古森:なるほど。メインの社業である設計のほうは、人々の腕という財産が残った。きのこ事業の方は、施設の一部が奇跡的に難を逃れて残った。とはいえ、普通の人なら絶望してしまうほどの被災状況です。会社だけでなく、町全体が。そこからの出発だったのですね。

佐藤:はい。単に事業を起こすというのではなく、マイナスからの出発でした。


3. 確証も保証もない「武者震い」

古森:想像を絶する津波の被害を前にして、佐藤さんの再起はどのように始まっていったのでしょうか。

佐藤:それはもう、震災翌日の早朝に消えてなくなった町を見下ろしたその時に、始まっていました。

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古森:既に、その時点で?想像を絶するような被災状況、その中に基礎だけになった御社の事務所跡を見ながら、その時にですか?

佐藤:はい、まさにその時に始まったのです。何の裏付けも保証もありませんでしたが、私は武者震いしていました。「これは、俺の出番だ!」「ひどい災害だが、これはチャンスなんだ!」と思ったのです。

古森:3月12日の早朝5時の段階で、自らも被災されながら武者震いしていた人が、どれくらいいるでしょうか・・・。何が佐藤さんを駆り立てたのでしょうか。

佐藤:私の生業は、震災前から「設計」と「きのこ」です。「設計」の力を生かせば、壊滅してしまった陸前高田の町を新しく作り上げることに大きな貢献ができるはずです。そして、もとより高付加価値路線を貫いてきた「きのこ」の事業は、一次産業で雇用を生む手段になりえます。それまでに取り組んできたことが、復興の流れの中で大きな存在意義を持つということを、直感的に感じました。ガレキの町が、白いキャンパスに見えたのです。その方向に動いて行けばきっと道が開けると信じていました。


4. 震災2日後からしいたけ供給を再開

古森:震災翌日早朝のひらめきの後、具体的にはどのような動きがあったのですか。

佐藤:まずは、運よく残されたきのこ関連の施設を拠点にして、家族や従業員の安否確認を行いつつ、最低限の事務作業などを稼働させることにしました。

古森:危機対応を行いつつも、すぐに事業運営体制の立て直しに動かれたのですね。

佐藤:はい。そして、震災後2日経過した時点で、残されたハウスの中で育っていたしいたけを無償で避難所に配る活動を始めました。これは、新鮮な食糧が欠乏していた震災直後の避難所生活の中で、皆さんにたいへん喜んでいただけました。

古森:震災後2日で、早くもしいたけの配布を。それは、喜ばれたことでしょうね。きのこのSATOさんのしいたけは、海風の吹く独特の土地柄で育っているおかげで、味が良いばかりでなく日持ちもするのだと聞きました。そういう特色も、震災直後の時期には生かされたのでしょうね。

佐藤:そうですね。とにかく、避難所に対しては、まず社として出来ることをしようというモードで考えていました。自衛隊等の支援が軌道に乗るまで、10日間ほどしいたけの配布を続けました。

古森:販売目的での事業再開は、いつ頃だったのでしょうか。

佐藤:あれは、3月24日だったと思います。

古森:そんなに早い時期にですか。

佐藤:はい。避難所で身動きの取れない方々とは別に、普通に商品として購入できるお客さまも沿岸部には多数おられたわけです。そうしたお客さまへの商品提供を一日も早く回復させることが私たちの使命でした。

古森:実際、購入するお金があって、お店に行く手段のある人でも、食料品自体が不足していて十分に買えない状況があったと聞きました。そうした中で、早期に供給再開ができたのは大きな一歩だったことでしょうね。

佐藤:そう思います。あの時は、地元のスーパーの社長さんに直談判して、とにかく出荷できるだけのきのこを納入させて頂けることになりました。納入の話がついたので、徹夜で一人で袋詰めをして、翌朝に軽トラック1台分を納入したのです。

古森:徹夜で一人で出荷作業・・・。

佐藤:そうした、日々ほんとうに勝負の連続で、なんとか早期にきのこの出荷を回復基調に乗せることができたのです。すぐに人手が足りない状態になりましたので、避難所の人々にお声がけして、4~5名の方に手伝いに来て頂きました。お金がなかったので、報酬はきのこの現物支給でしたが。

古森:それでも、避難所の生活では重宝されたことと思います。


5. きのこ事業のさらなる飛躍

佐藤:以後、紆余曲折はありましたが、お陰様できのこ事業は堅調に伸びています。震災前に15人のアルバイトで運営していた仕事が、今では正社員も含め45名ほどの所帯になっています。

古森:素晴らしいですね。本当に、当初イメージしたように、きのこ事業で雇用を生み出しておられますね。

佐藤:今年(2013年)の5月22日に、キャピタルホテル下の敷地に新しいハウス群17棟を設置しました。実は、それを見越して、一年前の2012年5月の段階で、前倒しで40名体制にしていたのです。賭けではありましたが、そこで賭けていたことが奏功して、2013年の労働市場逼迫の影響を受けずに済みました。これまでのところ、給料も遅滞なくお支払することができています。

古森:事業展開を見越して、一年前から早目に人材獲得に賭けていたわけですね。土地の手配など不確実性の高い要素をはらみながらも、果敢に自分のシナリオに賭けて行く・・・。震災翌日の早朝のひらめきの段階から一貫して、それが佐藤さんのスタンスなのですね。そうした挑戦を支える資金調達面では、どのようなことを工夫をしておられますか。

佐藤:街づくりにしても、きのこの事業にしても、大きなビジョンを持って取り組んで行く際に、資金面での安定性は重要です。震災後はまず、経済産業省の「中小企業等グループ施設等復旧整備事業」の支援を受けることができました。

古森:いわゆる「グループ補助金」ですね。

佐藤:はい。それに加えて、陸前高田市の参与でもあるワタミ株式会社会長の渡邉美樹氏が理事長を務めるNPOが主催している、「みんなの夢アワード」にも応募しました。被災地枠での出場でしたが、最終的には「みんなの夢アワード2012」で大賞をいただきました。2012年1月のことです。

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古森:各種メディアで報じられていましたね。

佐藤:総額2,000万円の資金で、400万円は出資、1,600万円が融資の形でした。描いたビジョンに向けて勝負をしていく上で、これは大きな支えになりました。渡邉美樹さんからは、経営に関するアドバイスもいただいています。

古森:アワードの審査ではプレゼンテーションなどもあったようですが、どのような点を工夫されたのですか。

佐藤:アワードへの参加が決定したのは、開催の一カ月前でした。プレゼンテーションの資料が完成したのは、最終選考当日の朝ですよ。他の候補者の方々は、すでに何度か選考を経て残った方々でしたので、プレゼンテーションもよく練られたものになっていました。一方、私は当日の朝になって資料が完成したという状況でした。

古森:ギリギリの状態ですね。

佐藤:リハーサルでは、手元の資料を読みながら棒読みのようになってしまい、その場で厳しい意見もいただきました。急場しのぎでプレゼンテーションを行っても、賞を取るのは無理だと思いました。それで、「大賞をとりたい」という考えを捨てて、むしろ、今の陸前高田の実状を多くの人に知っていただき、自分のビジョンを素直に話そうと思いました。

古森:結果的には、それが審査員の方々に通じたのですね。事業にかける佐藤さんの本当の思いやメッセージが、聞く人の心を打ったのでしょうね。


6. 設計事業の再構築

古森:メインの事業である設計分野のほうは、どのような過程で再興に取り組まれたのですか。

佐藤:こちらは、きのこよりは少し後になりますが、4月11日に全社員を集めてキックオフをしました。4月4日に、私自身が所有していた高田町の高台の土地に4個のコンテナ型のオフィスを搬入して、そこを仮の拠点に据えたのです。まだ鉛筆も十分にない状態でしたが、13名の社員全員が来てくれました。

古森:震災発生からちょうど一ヶ月後ですね。

佐藤:そうです。とりあえず社員の皆さんがいてくれれば、この仕事に一番重要な「腕 = 技術」はそこにあるわけです。必要な機械は、当初同業者にあたって借りたりしていましたが、うまく行かず、結局新たに購入しました。

古森:それから、復興の流れの中で、設計の仕事は波に乗って行かれたのですね。震災後一ヶ月という早い段階で再起をかけたことで、うまく歯車が回っていったのかもしれませんね。

佐藤:お陰様で、2011年4月の再スタート以降、事業は順調に伸びてきています。しばらくの間、コンテナの箱の中で仕事をこなしました。冬に寒く、結露が激しく、夏には暑いという過酷な環境でした。そして、今年(2013年)の1月になってようやく、今の社屋に移ることができました。

古森:再開から2年弱で、設計の事業もかなり回復しているようですね。

佐藤:まあ、財政的には楽ではないのですが、給料はなんとか遅れずに支払い続けることができています。

古森:当初イメージしたような、キャンパスに絵を描くような仕事は実現され始めていますか。

佐藤:着々と、進んでいますよ。例えば、きのこの新しいハウス群をキャピタルホテル脇に設置したと申し上げましたが、実はホテルもハウス群も含めて、弊社が構想に関わらせていただいているのです。

古森:ああ、そうなのですか。

佐藤:あのエリアのグランドデザインは、ホテル、住宅、発電施設、食糧生産(きのこ)などを含む複合施設なのです。もちろん、そこに外部資金を導入することも含めて、大きな設計コンセプトがあるわけです。まだ設計したすべてがそろっているわけではありませんが、最終形は明確です。さらに、その脇の土地に商業施設の集積を作る構想もあります。

古森:なるほど、そのようにして、町を「点」ではなく「面」で設計しているわけですね。


7. 腕に覚えのある仲間で力を合わせて

古森:そうした大型の構想を描いて実行にまで導いていくためには、様々な分野でのネットワークが必要になるものと思います。実際のところ、どのようなアプローチをとっておられるのでしょうか。

佐藤:おっしゃる通り、私一人が動いているわけではありません。これは、チームによるアプローチです。具体的には、「一般社団法人みらい会議」という組織がありまして、私はそこの副理事をさせていただいています。理事は、現在13名です。この組織を窓口にして、例えば大企業におけるCSR関連でいただくお声がけを集約したり、行政や政治に対する働きかけをしたりなどしています。

古森:CSR関連の話も、かなり来ているのでしょうか。

佐藤:そうですね・・・。陸前高田は、市の大半が壊滅的打撃を受けたという点で、国内外から復興の成り行きを注目される存在になっています。色々な話をいただいています。ただし、その一つひとつを当方としても真摯に検討させていただき、双方にとって中長期的な意味のある形へと高めて行く作業は欠かせません。陸前高田の復興に本当に効果があり、かつ、スポンサー企業のCSR目的にも叶うようなWIN-WINの形を工夫して作っていくようにしています。

古森:行政や政治への働きかけも、この組織を通じて行うのですね。

佐藤:はい。中長期的視点で考えますと、復興に必要なものは資金だけではありません。例えば、規制緩和や特区の発想で、手続き面などの改善を行うことも重要な要素の一つです。こうした部分は、待っていても国や自治体が起案してくれるとは限りませんので、こちらから積極的に問題提起したり提案したりするようにしています。今年(2013年)4月以降12月までの間に、永田町には既に5回行きましたし、首相の事務所にも2回出向いて説明をしています。

古森:なるほど。一番大きな枠組みを動かすことも、グランドデザインの一要素なのかもしれませんね。色々な専門性を持った方々が協働するからこそ、なしうる業なのでしょうね。
そろそろ、お時間ですね。佐藤さん、本日はお忙しいところ、貴重なお話をお聞かせ下さり有難うございました。数多くの人が知恵を出し合い、力を合わせて、陸前高田の復興が加速することを心よりお祈りしております。

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(終)

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