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清水浩司さん(マルトヨ食品株式会社 取締役営業部長)

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復興対談シリーズ ~Talk for Recovery~ (第7回)

マルトヨ食品株式会社 取締役営業部長 清水 浩司 さん
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1. 社屋の窓から見た信じがたい光景

古森:こんにちは。今日はお忙しいところお時間をいただきまして、ありがとうございます。この復興対談シリーズは、東日本大震災からの復興の現場で活躍されている方々のお話しを伺い、震災の記憶を書き留めつつ、現在の課題や今後の方向性などについて発信をしていこうという取り組みです。よろしくお願いいたします。

清水:こちらこそ、よろしくお願いいたします。ようこそ気仙沼までお越し下さいました。毎月、気仙沼に来られているとか。

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古森:はい。陸前高田で「Komo’s英語音読会」という英語の勉強会を毎月開催していまして、その往路に気仙沼で講師メンバーそろってお昼ごはんを食べるのが楽しみの一つになっています。個人的には、鹿折地区のほうに初めて来たのは2011年の9月でした。震災後半年を経てなお、痛々しい傷跡が残っていたのを覚えています。

清水:そうでしたか。もう震災から1年と9ヶ月になりますが、このあたりはまだ見ての通りです。瓦礫は片付きましたが、壊れた建物の基礎はまだかなり残っていますし、地盤沈下もあります。先は長いという感じです。

古森:地震・津波の発生時は、どちらにいらっしゃったのですか。

清水:ここ(社屋)の3階にいました。地震が大きかったので、津波は必ず来ると思いました。逃げるかここにとどまるか考えましたが、そばを流れる川を見たら、もう海水が逆流しているのが見えました。下手に動くよりはここにいたほうが良いと思い、とどまりました。そうしたら、どんどん波が押し寄せて来ました。

古森:町が津波に飲まれていくのを、ずっと社屋の窓から見ておられたのですね。

清水:はい。社屋自体も1階部分は津波に飲まれました。1階と2階の間の外壁に、今も津波の水位がわかる茶色い痕跡が残っています。すぐ目の前で起きていることを、窓から呆然と見ていました。自分の目の前で起きていることが、実感として受け止められなかったですね。もう、「怖い」というのを通り越していました。

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古森:鹿折地区は、津波の後に大きな火事がありましたね。あの日の夜、私は東京のオフィスで帰宅難民になって、インターネットでテレビ中継を見ていました。鹿折地区の火事の様子を見て、地獄絵図だと思いました。あれは想像を絶する光景でした。今も目に焼きついて離れません。火事は、この社屋までは来なかったのですね。

清水:紙一重でした。この社屋の隣家まで燃えたのです。もうすぐそこまで火が来たのです。私たちは、津波の後に火の手があがってきたので、類焼の危険性を感じて社屋から他の場所に避難しました。本当に恐ろしい光景でした。そして翌日、恐る恐る様子を見に帰ってきました。

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古森:被災直後の鹿折地区・・・。想像するに余りある感じがいたします。

清水:ひどいものでした。めちゃくちゃに壊れた建物や自動車の中に、あるいは折れた木に引っかかるなどして、亡くなられた方々のご遺体が数多くありました。人間の尊厳がことごとく失われた姿で。何体ものご遺体を運びました。ご遺体の重さが今も思い出されます。本当に信じがたい出来事でした。

古森:私にはもう本当に、言葉もないという心境です。ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

2. 薄れていく震災の記憶

古森:それから1年と9ヶ月ですね。鹿折地区の復興には時間がかかりそうな印象ですが、今現在の状況を清水さんはどう見ておられますか。

清水:そうですね・・・。「震災の記憶がどんどん薄れていく」というのが、最近の率直な心境です。今日のように尋ねられれば思い出すものもありますが、普段はもう、あまり震災のことを考えなくなってきました。日々を過ごしていくのが色々と大変ですし、壊れた建物などもなくなってしまいましたし。

古森:「思い出せない」という趣旨の言葉を、実は私、色々なところで耳にしています。遠くにいる人々はともかく、被災地に暮らしている方々でさえ、やはり目に見えるものが片付いていく中で記憶が薄れていくというのです。そもそも、思い出したくないという方もいらっしゃるでしょうし。

清水:「津波がここまで来た」という目印のようなものも、どんどんなくなっていきます。あの船(注:鹿折地区に乗り上げたままの第18共徳丸)が残っていれば、まだ伝わるものはありますが、最終的にどうなるか決まっていません。保存に反対する声も根強いものがあります。

古森:他の被災地でも、いわゆる「震災遺構」を撤去するか保存するかという問題は、非常にデリケートですね。結果的には、「思い出したくない」という声に配慮して、あるいは、保存のための経費負担や事故のリスクなども考えて、取り壊すケースのほうが圧倒的に多いようです。

清水:そうですね。でも、私はやはり何か残したほうが良いと思うのですよ。そうしないと、ここにいる私たちでさえ忘れてしまうのに、他の地域の人に津波の実像を伝えられるものがなくなってしまいます。それに、震災遺構が実際に外部から人が訪れるきっかけになっているという面もあります。
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古森:震災遺構を見に来られる方々の心無い振る舞いなどで、心穏やかでない場面もあると聞いています。バスから降りてきて写真をとって、祈りもせずに立ち去るといった光景も見られます。その方々に悪気はないと思いますが、地元の方々からすると複雑な心境でしょうね。

清水:おっしゃるとおりです。しかしながら、やはり被災地の復興において「外から人が来てくれる」というのは大事な要素でもあります。来た人が、「何が起きたか」を直接感じ取るというのは、さらに大事なことです。配慮すべきことは配慮しつつ、何か象徴的なものを残すという判断をすべきでしょう。広島の原爆ドームだって、最初は反対の声が大きかったと聞きました。

古森:震災遺構の扱いについては、地元の総意を一つにまとめるのは難しいのでしょう。残すにせよ、なくすにせよ、誰かがリーダーシップをとって決断していくしかないですね。震災の物的痕跡を生かす形で復興を進めて行くのか、消し去ることで新たな価値創出に挑戦していくのか。大きな分かれ目の選択ですね。

 

3. 「普通の戦い」という厳しい現実

古森:話題を至近距離に移しますが、マルトヨ食品さんの事業の復興は、どのような感じでしょうか。加工業でいらっしゃるので、御社単体での復興というのはなかなか難しい面もあって、気仙沼全体の水産業の回復度合いに影響されるのだと思いますが。

清水:まだ、気仙沼の水産業全体が非常に厳しい状況にあります。水揚げ高などの面で復調を感じさせるニュースもありますが、港周辺の冷蔵・冷凍施設などを含め、本格的に震災前のレベルに戻るには相当な時間がかかります。そんな中で弊社も細々と事業を再開していますが、先の見えない状況です。

古森:気仙沼の水産業全体の問題が、マルトヨさんにとっても非常に大きな影響を与えているわけですね。

清水:さらに本質的に厳しいのは、市場競争のほうだと感じています。

古森:つまり、お客さんへの営業面でも大変苦しいものがあると。

清水:やはり、震災後の空白期間の影響は甚大です。弊社の事業は圧倒的に「B to B」(注:Business to Business:法人間商取引の略称)の卸売業ですが、震災後に私たちが動けなくなっている間に、小売さんのほうでは別の卸業者への切り替えが粛々と進んでいきました。これは、小売りという立場を考えたら当然のことですし、空白を埋めた業者も一生懸命仕事をしているわけですから、恨んでも仕方のないことです。しかし、結果としては、「B to B」の市場で私たちの入る場所はなくなってしまいました。

古森:厳しい現実ですね・・・。

清水:被災地の企業であろうとなかろうと、「普通に競争」していくしかないのが市場の原則だということです。「普通のところ」に出て行って、「普通に勝負」して、選ばれていかなければなりません。復興というのは、本質的にはそういうことなのです。それが、現実です。
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古森:こちらが何を背負っていようとも、「普通の勝負」をしなければならない。しかも、過去に提供していた価値を再現するだけでは、もはや失地回復は容易ではない状況なのですね。私も業界は違いますが「B to B」の世界に生きる身ですので、おっしゃることの意味はよく分かります。行政の支援などは、ないのでしょうか。

清水:最終的には個々の事業者が勝負をしていかなければなりませんが、活用できるものは何とかうまく活用させていただきたいという思いは当然あります。しかし、用意された各種支援の枠組みが、実際に使いやすい形にはなっていない場合もあるのです。

古森:と、いいますと?

清水:例えば、いったん被災者が必要な資金を立て替えて支払い、その後に補助金と精算する方式になっている施策などもあります。現実的には、最初に立て替えるキャッシュを用立て出来ないケースが多々あるわけです。補助金の仕組みはあっても、実際に活用できる人は少ないというジレンマですね。そんな中で、背に腹は変えられませんし、補助自体は大変ありがたいことですので、一生懸命書類と格闘したり走り回ったりしていますが。

古森:行政としては、補助金を本来受け取る立場にない人が制度を悪用して受給することを防ぐために、厳格なプロセスを組まざるを得ない面もあるのでしょう。しかし、補助金は役に立ってこそ目的にかなうという原点から考えると、やはり問題がありますね。事業再建が一刻を争う中では、本当に切実な問題ですね。

清水:片方に動きが遅い被災地の環境があり、もう一方に「普通の戦い」を強いられる市場があるわけです。その両方の問題を背負いながら、それでも前を向いて、日々苦闘しています。文句を言っても何も始まりませんから、自分で動いていかなければ。

4. 起業家精神を持って「発信」していく

古森:そんな中で、時々東京の方でイベントを開催されていますよね。Facebookで何度かそのご様子をお見かけしています。

清水:はい。東京都内に出かけて行って販売会を開催するという試みを続けています。震災復興のことで色々とお世話になった神戸でも開催します。これまでにもう8回ほど開催しました。つい先日も東村山、その後目黒でも開催してきたところです。

古森:反響は、どうですか。

清水:おかげさまで、数多くの方々に足を運んでいただいています。大変ありがたいことです。弊社はあくまでも「B to B」の商売で成り立つ会社なのですが、直接小売りを行う「B to C」(注:Business to Consumerの略称)についても色々と手探りで試行錯誤を続けているところです。

古森:とてつもない逆境を背負いながら、起業家精神を発揮しておられますね。

清水:今のところ、東京に出向いていく「B to C」の形式では、まだ事業の柱になるような可能性は見えていません。しかし、少なくとも情報発信としては重要な活動になりつつあります。時とともに震災の記憶が薄れていく中で、「被災地のことを忘れないで」と願うばかりでは駄目です。こちらから出向いていって、被災地の現状を伝えつつ、仕事の種もきちんとまく必要があります。

古森:情報発信と試行錯誤を続けていく中で、何かを見出していこうと。

清水:FacebookなどのSNS(注:Social Networking Serviceの略称)を通じた情報発信も、重要性を増していると思います。Facebookでは、色々な方と縁が出来ること自体がまずもって嬉しいことですが、そこから縁が発展して、「気仙沼に行こう」「あの企業を見てみよう」「あの人に会ってみよう」ということになっていけば、色々な可能性が出てくるだろうと思います。

古森:何を隠そう、私が清水さんとつながったのもFacebookが先ですからね・・・。色々と清水さんの発信される情報を拝見して、時々コメントなどもさせていただくうちに、「ああ、一度しっかりお話を伺いに行きたい!」と思うようになりました。それで押しかけたのが先月で、今回もこうしてお会いすることになりました。私が来たからといって、すぐに商売にはならないというのが心苦しいところですが(笑)

清水:いえいえ、やはり興味を持って来ていただける方々がいらっしゃるというのが、私たちにとって非常に大事なことなのです。人間ですから、新しい出会いというものに勇気付けられることもあります。是非、多くの方々に来ていただきたいです。

古森:今後の展望は、何か見えてきていますか。

清水:正直言って、まだ暗中模索の状態です。Facebookその他での情報発信、そして東京など大消費地での販売会も続けていきます。しかし、それでどうなるという確証は何もありません。先が見えなくても、今日の努力を信じて、行動していくしかないのです。私たちは。行動していく中で、何かを見出していくしかありません。

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古森:逆境を背負った「普通の戦い」の中で、新しい付加価値を見出していくために・・・。

清水:そうです。頑張らなければと思います。

古森:心から応援しています。私も自分に何が出来るのか、毎月こちらの方に通い続ける中で考えていきます。最低10年間は毎月通うことにしていますので、きっとなにか開いていく縁があるのではないかと思っております。

あっ、そろそろお時間ですね。忙しい午後に長居してもご迷惑でしょうから、本日はこのあたりで・・・。清水さん、率直なご意見や熱い思いを語っていただき、ありがとうございました。またお伺いします!

(End)

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