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西本 龍さん(山口県柳井市役所職員/陸前高田市派遣)

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                       復興対談シリーズ  

               ~ Talk for Recovery ~

(第14回)

山口県柳井市役所(陸前高田市派遣)

西本 龍 さん

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1. 目をそらしながら過ぎた一年
2. 市長に直談判
3. 全国青年市長会のプログラム
4. 自分に何ができるだろう
5. がむしゃらに動きつづける
6. 仮設住宅に暮らして
7. 山口と東北のかけ橋になろう

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1. 目をそらしながら過ぎた一年

古森: こんにちは。本日は、お忙しいところにお時間をいただきまして、ありがとうございます。この対談シリーズは、東日本大震災からの復興の現場で活動しておられる様々な立場の方々のお話をうかがい、世界に発信していく試みです。山口県柳井市役所から陸前高田に派遣で来られて、現場に密着した活動をしておられる西本さんのお話を是非伺いたいと思っておりました。よろしくお願いいたします。

西本: こちらこそ、よろしくお願いします。でも私、あらためてインタビューでお話しするようなことはしていないのですが・・・。よろしいのでしょうか。

古森: 最近、陸前高田の色々なところで西本さんのお話を聞きますよ。是非、ざっくばらんにお話し下さい。まず、物事の文脈としてお伺いしたいのですが、震災当初はどのような状況だったのでしょうか。山口県の柳井市にいらっしゃったのですよね。

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西本: そうです。私は、柳井市役所で危機管理業務を担当していました。しかし、震災発生の時は、正直申しますと、まだピンと来ていなかったように思います。車の中でラジオを聞いて、「大変なことになったな」とは思いました。テレビの映像も怖かったです。でも、やはり「遠くで起きていること」という印象でしたね。

古森: 当時、一般的には西日本と東日本で随分と受け止め方が違いましたね。

西本: 危機管理業務を担当していた立場上、「もし山口でこんな災害が起きたら、自分の仕事はどのようになるだろうか」と想像したりもしました。実際に東北で起きていることよりも、その想像の方が自分にとってはリアリティがあって怖かったですね。

古森: なるほど・・・。それで、特に震災を契機に何かを始めたということではなかったのですね。

西本: はい。日が経つにつれ、そして被災地に関する色々な情報が入ってくるにつれ、「このままでいいのかな?」という思いはありました。しかし、最初の一年は目をそらしながら過ぎたという感じです。

古森: その「目をそらしながら過ぎた」という感覚は、日本中の多くの人が抱いたものだったと思います。

 

2. 市長に直談判

西本: 「このままでいいのか」という思いは、震災から一年になる2012年春にはさらに強くなっていました。でも、自分が被災地に行ったところで、何の技術もないし役に立たないだろうな・・・と、悶々としていました。普通に目の前の仕事をしていれば一日は過ぎて行きます。日常の暮らしと東北への漠然とした使命感とが交錯した日々を過ごしていました。

古森: その悶々とした日々から、どのようにして一歩を踏み出したのでしょうか。

西本: 市役所からの派遣の道があるかどうか、私なりに考えてみました。それまでにも、短期の応援派遣は何件もありましたし、一年間の派遣もちょうど一人決まったところでした。行政としては、「やるべきことはやった」という雰囲気でしたね。実際、およそ300名しかいない柳井市役所ですから、一人派遣するだけでも業務への影響は大きいのです。追加で派遣をする余地はないだろうなと思いました。

古森: 派遣という道は、現実的に考えると可能性は低かったのですね。

西本: はい。しかし、頭ではそう分かっていても、やはり「このままでいいのか」という思いは日に日に強くなって行きました。そして、あれは2012年の5月末のことでしたが、帰宅途中の市長を偶然見つけた際に、思わず走り寄って直談判してしまったのです。「私を東北に行かせて下さい」と。

古森: 市長さんに直談判。しかも庁舎内ではなく通勤途上で。

西本: 今思えば、常識では考えられないことでした。自分自身、直談判をする計画を持って動いたわけではなく、まったくの衝動的なものだったのです。あの時、歩いて行く市長の姿を見て、体が走り出してしまったのです。

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古森: それで、市長さんは何かおっしゃいましたか。

西本: 市長は、「西本さん、厳しいですよ。分かっているのですか。福島でも良いのですか」ということを、落ち着いた声でおっしゃいました。私は即座に、「構いません。福島でも、一年でも二年でも、構いません」と申し上げました。そうしたら市長は、静かに「分かりました」と。

古森: あらかじめ用意していたセリフではなく、市長さんとの会話の中で口をついて出て来た言葉なのですよね・・・。西本さんの心の中にあった覚悟のようなものが、その時初めて言葉になったということでしょうね。

西本: そういうことだったのかもしれませんね。

 

3. 全国青年市長会のプログラム

古森: それが2012年の5月末の出来事ですね。私の記憶が確かであれば、西本さんが陸前高田に来られたのは2013年の夏からだと思いますが、直談判からはかなり時間がたっていますね。その間、どのような経緯があったのでしょうか。

西本: 直談判の後、しばらく音沙汰はありませんでした。「ああ、だめだったのかな」とあきらめかけていた頃、総務部長から呼ばれまして。「市長が、西本を陸前高田に行かせるから段取りをするようにと言っておられる」と。「お前、市長にそんなこと言ったのか」と聞かれましたので、「はい」と答えました。市役所の職員として、掟破りのやり方だとは分かっていました・・・。

古森: しかし、直談判から4か月の間、市長さんは西本さんの派遣をずっと検討して下さっていたのですね。

西本: はい、本当にありがたいことです。全国青年市長会の研修プログラムに参加する形で、派遣を考えて頂けたのです。しかし総務部長からは、「一ヶ月行ってこい」という話でした。それは短すぎると思いましたので、検討して頂いただけでも有難いのですが、「出来れば一年間行かせて頂けないか」とお願いしてみました。

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古森: 市役所としては、長期の派遣は業務上本当に厳しいのでしょうね。

西本: その通りです。最初からそれは私も分かっていました。しかし、その無理を承知での直談判でしたから、言い出した以上はしっかりした貢献をしたいと思っていました。結局、相談を重ねて3か月の派遣で決着しました。当初は10月から行けという話でしたが、最終的には2013年の7~9月ということになりました。

古森: その間、どのようなことを?

西本: 3か月とはいえ、人員の補充をせずに不在にするわけですから、しっかりと引継ぎをする必要がありました。私の分の仕事も背負う若手職員にとっては大きなチャレンジになったと思いますが、その分成長してくれていると思います。また、10月には妻が病気で手術をするという出来事もありました。そんなわけで、公私にわたり色々とありまして、2013年の夏というタイミングになったわけです。

 

4. 自分に何ができるだろう

古森: いざ陸前高田に行くことになって、心境はどうでしたか。

西本: 準備を進めながら、いつも「自分に何ができるだろうか」と考えていました。青年市長会の研修プログラムとはいえ、すべての活動が明確に決まっていたわけではありません。震災後初年度には、罹災証明の発行業務など、ある意味分かりやすい仕事がありました。しかし、震災3年目ともなると「何が役に立つか」が一概には言えなくなっていたのです。

古森: そうこうするうちに、 陸前高田行きの日が来て・・・。

西本: はい。「お前に何ができるんだ!」と自分に問い続ける夜が続きましたが、答の出ないままに出発の日を迎えました。忘れもしない、6月25日の朝です。車で10時頃に山口を出まして、その日は京都に泊まりました。翌26日は新潟まで走って宿泊。そして、ようやく27日の夕方4時半ごろに陸前高田へ到着しました。約1,500キロの一人旅でした。

古森: その間も、「何をすべきか」と考えながら・・・。

西本: そうですね。「復幸」という文字が心に重くのしかかっていました。その答を探しながらの1,500キロでした。

 

5. がむしゃらに動きつづける

古森: 陸前高田に着いてから、実際のところ、どうされたのですか。

西本: ひとことで言いますと、ひたすら、がむしゃらに動いてきた・・・という感じです。「何をするか」以前に、私という人間を信用していただいて、それがあって初めて具体的な貢献方法も見えてくるはずだと思いまして。こちらに来てからすぐ、とにかく外に出て動きつづけました。

古森: まず動く。動きながら道を見出していく。公的なお仕事とはいえ、アントレプレナーの気質を感じます。

西本: 色々な現場に飛び込んで、話をして、ともに汗をかいて、色々お叱りも受けながら修正して・・・という日々です。だって、3か月しかないのですから。猛スピードで動きつづけないと、やるべきことさえ見つからずに終わってしまいます。

古森: 動きながら、やるべきことはクリアになってきましたか。

西本: はい。青年市長会で続けているプログラムの現場で、例えば地元のNPOさんのお手伝いですとか、いくつもの具体的な貢献方法が見えてきました。やはり、「何をするか」以前に、「あの人は信頼できる」という認知が先なのだと痛感しています。

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6. 仮設住宅に暮らして

古森: 西本さんは、そうした公的な活動だけでなく、週末などの時間も惜しまずに、個人的にもたくさんの地域貢献をされていますね。お住まいも仮設住宅の一角だと伺っています。実際に地元の暮らしに溶け込んで、見えて来たものは何でしょうか。

西本: そうですね・・・。色々ありますが、例えば、仮設住宅の不便さなどは、本当に住んでみないと分からないですね。私も、自分で住んでみて初めて分かったことが多々ありました。

古森: どのような点でしょうか。

西本: 例えば、かなり小さい音でもお隣の部屋に聞こえてしまいますね。遅い時間になると風呂に入ることも憚られますし、ましてや大きな声は出せないです。プライバシーという点では、非常にデリケートな状況です。その暮らしをもう2年以上続けている人々がいるわけですよ。

古森: なるほど・・・。そういうことは、実際に住んでみないと分からないですね。

西本: 家を建てて仮設住宅を出て行く人を見送る際にも、微妙な雰囲気になります。皆さん笑顔で送り出しますし、本当に祝福しておられるのですよ。でも、わが身を振り返ったときに、素直に祝福できない苦しさもあるのです。残りたくて残っている人はいないですからね。しかし、皆が新たにローンを組んで家を再建できる状況にはないわけです。送り出す側の空気に、そういう苦しさがにじむのも目の当たりにしました。

古森: 外から見ていても分からない部分ですね・・・。

西本: 仮設住宅入居者数が全体で何万人減ったとか、そういう統計の話はよく目にします。しかし、その一つ一つの場面で起きていること、個々人の心の中で起きていることまでは、数字からは感じることができません。やはり、その場に行かないと分からないことが多々あります。

古森: そういうデリケートな環境の中で、何か個人的にできることはあるのでしょうか。

西本: いくらでもあると思いますよ。例えば、私は毎朝仮設住宅のラジオ体操に参加するのですが、これがコミュニティの大事な絆を作っているということを感じました。それで、ラジオ体操をさらに生き生きとした場にしていけないかと思いまして、柳井市で使われている「ラジオ体操カード」というものを皆さんに紹介してみたのです。

古森: ラジオ体操カード。

西本: はい。要は、ラジオ体操に参加した人が日ごとにハンコを押していくための、シンプルなカードです。でも、それがあるだけでも、ラジオ体操に参加する張り合いが違うのですね。ちなみに、押すハンコは「たかたのゆめちゃん」にしました。当初7月22日~8月31日の日付が入った夏休みバージョンを柳井市から取り寄せて配ったのですが、「次はないの?」というご期待の声を頂きました。それで、9月からのカードもお配りすることにしたのですが、これは柳井市の文具屋さん(木阪賞文堂さん)が寄贈して下さいました。

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古森: 非常に具体的で有機的な取り組みですね!仮設住宅に暮らす人と日常を共有しているからこそ、見えてきた工夫ですね。

西本: そして、その文具屋さんにとっては、それまで何をすれば良いのか分からなかったところに、私という存在を介して具体的な貢献方法が見つかったということでもあるのです。私の活動をきっかけにして、山口にいる人々も間接的に役に立つ道が開けてきているわけです。

古森:  8月7日の七夕のときにも、山車の準備や本番に参加する西本さんのお姿を拝見いたしました。本当に色々なところで、個人的にも活動しておられますね。

西本: 七夕では、縁あって大町組のお手伝いをしました。大町は、170名ほどいた七夕の担い手のうち約70名が津波で亡くなっています。そんな中、準備の段階から私を人間として受け入れて下さって、当日までご一緒させていただくことができました。

古森: 文字通り、公私にわたり動きつづけておられますね。

 

7. 山口と東北のかけ橋になろう

古森: そうこうするうちに、もう3か月が経ってしまいそうですね。派遣終了後の展望のようなものはありますか。

西本: それが目下の悩みです。気持ちとしては、ようやく地元に受け入れてもらえたタイミングだし、まさにここからだ・・・という感じです。一方、先ほど申しましたように、決して人数の多くない柳井市役所の業務にいつまでも穴をあけるわけにはいきません。それでは山口に帰ってから何が出来るかというと、まだ答はないのです。

古森: 再び、悶々と考えるテーマが浮上してきたのですね。

西本: ただ、一つクリアなのは、自分は東北と山口のかけ橋のような役割を果たしたいということです。山口では、東北の復興は一段落したという印象を持っている人も多いのですが、現実はまったく違います。このギャップを埋めるためには、やはり、来て見て感じなければならないと思います。写真だけでは伝わらない、空間にたたずんで感じて初めて分かるもの・・・。

古森: 同感です。そのギャップを埋めるような、つまり山口と東北の人的交流が起こるような、何らかの仕掛けを考えていきたい・・・ということでしょうか。現時点で言えることは。

西本: そうですね。言葉にすると、そういうことかもしれません。普通の公務員が、遠隔地にいて一体何が出来るのか。あまり背伸びしすぎずに、出来る範囲でやり続けて行くということが大事なのかなと思います。今はまだ、残り半月ほどをがむしゃらに走ることに一生懸命で、その後の具体案は見えていません。しかし、この地で生まれた信頼関係を、継続的に生かしていく何かを考えたいと思っています。

古森: 信頼と継続・・・。自治体からの応援派遣に限らず、被災地復興における地元と外部との関係において、普遍的に重要な要素なのだと思います。そろそろ、お時間になりました。西本さん、今日は熱い思いをお聞かせ下さり、本当にありがとうございました。私自身もまた、動きながら考えて行きたいと思います。

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(終)

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