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佐々木里子さん (女川町宿泊村協同組合“エルファロ”理事長)

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        復興対談シリーズ 

     ~ Talk for Recovery ~

    (第12回) 

    女川町宿泊村協同組合   “エルファロ”

    理事長 佐々木 里子 さん

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1. カラフルなトレーラーハウス
2. 大粒の雪の中で
3. 別れと再会
4. 生活を立て直す日々
5. 新たなる挑戦
6. 力を合わせて
7. 復興の象徴になれるように
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1. カラフルなトレーラーハウス

(古森)こんにちは。お忙しい中にお時間をいただきまして、ありがとうございます。この復興対談シリーズは、東日本大震災の被災地復興に取り組んでおられる様々な立場の方のお話をうかがい、世の中に共有していく活動です。時間差はありますが英語にも翻訳しますので、文字通り世界に伝えていければと思っております。今日は、よろしくお願いいたします。

(佐々木)女川へようこそ!こちらこそ、よろしくお願いいたします。女川は、初めてですか。

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(古森)南三陸方面に向かう際に時々通ることはあるのですが、車を停めてゆっくりしたのは今回が初めてです。こちらに来る前にカマボコの高政さんに寄らせて頂きましたが、素晴らしかったです。お世辞抜きに、本当に美味しくて。また一つ、好きな町が増えてしまいそうです(笑)ホテルのほうも、先ほど山本支配人さんにご案内いただきました。ほんとうに綺麗ですね。素敵なお部屋です。

(佐々木)ありがとうございます。

(古森)お部屋もいいですが、全体の雰囲気もいいですね。管理棟の外観がおしゃれですし、真ん中にあるステージのような場所も、色々なイベントに使えそうですね。レストランもあるし・・・。これは近いうちに泊まりに来なければと思いました。

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(佐々木)是非、いらして下さい。夜は、星もきれいですよ。

(古森)私、トレーラーハウス自体にすごく興味があるのですが、こんなにカラフルで中もしっかりしているとは、正直驚きました。少し遠くからでも、「あっ、あれかな!」とすぐに分かりました。なんだか、ここにたどり着くと気分が明るくなりました。

(佐々木)女川は、色のない町になってしまいましたから・・・。

(古森)色のない町?

(佐々木)女川は、ご存じのとおり津波で町の大半が流されてしまいました。瓦礫は早目に片付いたのですが、その分、早い時期から何もない、色のない町になってしまいました。ですから、ここは明るくカラフルにしたいなと思いまして。

(古森)なるほど、そういうことでしたか。もう思い出したくはないかもしれませんが、少し、震災当初のことなどもお伺いしてよろしいでしょうか。大事な文脈として知っておきたいと思うのですが・・・。

(佐々木)もちろんです。むしろ、それを知っていただかないと。

 

2. 大粒の雪の中で

(古森)2011年3月11日の発災時には、どちらにおられたのでしょうか。

(佐々木)自宅にいました。私は、旅館業を営んでいた両親のもとに生まれた四人兄弟の末っ子(次女)でして、子供のころから旅館のお手伝いをしていました。一度はよそに行ったのですが、また戻ってきて旅館を手伝っていたのです。地震が起きた時間のちょうど前後30分くらいは休憩時間で、父と私で自宅にいました。母は、医療センターのボランティアをしていましたので、外出中でした。

(古森)そこに、揺れが・・・。

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(佐々木)はい。大きく揺れましたので、私は「すぐに逃げよう」と思いました。でも、父は「何、これくらい」と言って動こうとしません。地震の2日前にも大きな揺れがあって、何事もなかったものですから、余計に安心していたかもしれません。チリ地震津波を経験している世代でしたが、その時も1mくらいの津波だったとのことで、今回もせいぜいそのくらいだろうと思っていたようです。

(古森)過去の経験が、かえって危機感を抑えてしまうこともあるのですね。

(佐々木)そう思います。しかし私はとても不安でしたので、とにかくまず子供たちを迎えに行こうと思いました。車を走らせて次男(当時年長)の通う幼稚園に向かいました。着いてみたら私が一番乗りでした。

(古森)他の方々も、「大丈夫だろう」と思っていたのかもしれませんね。

(佐々木)ところが、人数確認をしているうちに、サイレンが鳴りました。ぞっとするような低い音でした。そして、津波が3mから6mになったと言っているではありませんか。父の言葉を思い出して、「何、これくらい」ではないぞ!と思いました。息子の手を引いて、フロアを土足のまま走りました。車に乗せて、すぐ家の方に向かいました。

(古森)緊迫感が伝わってきます。ものすごく不安だったことでしょうね・・・。

(佐々木)家に着くと、なんと、母が帰って来ていました。子供を車に乗せて、毛布も積み込みました。母が、持って行けということで。身の回りのものを入れた手提げなども積み込んで、「一緒に逃げよう」と言ったのですが、母は「後から行くから、先に行ってなさい」と。そのまま、大粒の雪の中、次女の通う小学校に向かいました。先生たちもパニック状態でした。子供引き取りの許可を得て、家に戻ろうとしたとき・・・。

(古森)再びご自宅に向かわれたのですね。

(佐々木)そのつもりでした。しかし、対向車の人が窓から手を出して、戻れ、戻れ、と合図していたのです。見ると、もう数十メートル先に津波が来ていました。丸太やブロックの塊とともに、黒い土煙を上げる水が、こちらに迫ってきていました。なんとかUターンする場所を見つけて引き返しましたが、もう15mくらいの距離に津波が来ているのが見えました。

(古森)15メートル。もう目と鼻の先ですね。そこに津波が。

(佐々木)そうです。とっさに、「これは、渋滞するな」と思いました。信号機も消えていましたし。それで、山の方にハンドルを切って、高台を目指しました。ルームミラーで今までいた場所を見たら、もう水の中でした。

(古森)数秒の差で、危機一髪だったのですね。ほんとうに。

(佐々木)まさに、その通りです。高い所に車を停めて、子供2人を車に残して様子を見に行きました。そうしたら、女川の町が水の中に沈んでいて、プロパンガスがあちこちで爆発して、ものすごい火と音が・・・。大粒の雪が降る中で。現実とは思えない、信じられない光景でした。

(古森)その場にいなかった私には、想像しえない景色です。写真では見ることがあっても、その場にいた人が受けた衝撃は、想像することさえできません。

 

3. 別れと再会

(佐々木)それから私は、さらに車を走らせて高台へ向かいました。そこに、うちの空き地がありまして、倉庫に非常持ち出しなどを入れておいたのです。「後から行く」と言っていた両親も、逃げるとすれば、まずそこに向かうはずでした。しかし、そこに到着しても両親の姿はありませんでした。

(古森)・・・。

(佐々木)「ああ、そういうことか。」「もう、会えないんだな。」と、その時私には分かってしまったのです。

(古森)そうだったのですか・・・。言葉がございません。

(佐々木)その事実を冷静に受け止めて、私は子供二人を連れて避難所に向かいました。そこで一晩明かそうと思いまして。避難所には、知っている人もたくさんいて、少し安心しました。広い部屋に50~60名が入って、石油ストーブが二つ。寒かったですが、母が持たせてくれた毛布がとても役に立ちました。

(古森)思い起こせば今生の別れだった、その時にお母様が持たせてくれた毛布ですね。

(佐々木)避難所では、電気は来ていないし、テレビもつきませんでした。真っ暗な中で、ラジオだけが頼りでした。石巻や南三陸の情報が流れてきましたが、女川については確たる情報はなく、ただ「女川は壊滅的であろう」というコメントのみでした。暗い中で音だけ聞いているので、余計に想像してしまって・・・。

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(古森)皆さん、本当に不安な一夜を明かされたことでしょうね。

(佐々木)翌朝、子供たちに「ここにいなよ」と言い残して、私は下の様子を見に行こうとしました。降りて行く途中に顔見知りの人に会ったのですが、その人が「下には行くな」「いいから、見るな」と言うのです。ちらっと向こうの方を見たら、それはもう、ひどい状況でした。ビルの上に車が乗り、道の上に家があって・・・。もちろん、その惨状の中で多くの人々が亡くなっていたわけです。

(古森)「見るな」というのは、そういうことだったのですね。

(佐々木)私はそこから引き返しまして、各避難所をまわることにしました。両親に関する情報が欲しかったですし、まだ長男(当時高1)、長女(当時中2)にも会えていなかったのです。

(古森)お子様四人のうちお二人が、まだどうなっているか分からない状況だったのですね。親としての心中、お察し致します。

(佐々木)長女の通っていた中学は、高台にありましたので大丈夫だろうとは思っていました。実際、長女にはすぐに会えました。学校は安全な場所だということで、学校としては学内に滞在させる方針だったのですが、やはり一緒にいるほうが良いと思い、避難所に連れて帰りました。中学校への道すがら、避難所を5か所ほどまわりましたが、やはり両親の情報は得られませんでした。

(古森)中学校でお子さんに会えたことは、不幸中の幸いでしたね。ご長男は、どちらのほうにおられたのですか?

(佐々木)長男は、石巻のほうにいました。震災当日は、高校は試験休み中で、部活の3年生を送る会に出ているところでした。なかなか行方は分からず、「どこにいるんだろう」と不安で・・・。子供の前では泣けませんので、車の中で泣いていました。単身赴任の主人が帰って来て、石巻で長男を探していましたが、それでも見つかりませんでした。

(古森)震災直後の、大混乱の中ですからね・・・。

(佐々木)ところが、一瞬弱い電波が携帯電話に届いたタイミングで、盛岡の親戚のほうから電話が入りました。長男が、電話してきたというのです。それで、「そのあたりにいるはずだ」と。結局、仙台から私の実家の人たちも来て、長男を石巻から連れて帰ってきてくれました。主人も一緒に帰ってきました。

(古森)途方もなく長い時間に感じられたことでしょうね。

 

4. 生活を立て直す日々

(佐々木)その後、およそ2か月半の間、仙台にいる私の姉の家でお世話になりました。女川には毎日通って、遺体安置所で両親を探しました。父は3月中に見つかりまして、4月に仮土葬をしました。しかし、母はずっと不明のままでした。

(古森)そうだったのですか・・・。

(佐々木)そんな日々の中でも、生活の立て直しを図らなければなりません。女川を行き来する途中に売りに出ていた中古物件を見つけたので、そちらを買い取ることを決めました。生活の拠点を一刻も早く、と思ったのです。不動産屋さんが泥だらけの図面を広げて説明してくれました。

(古森)図面も泥だらけなのですね。お父様を亡くされた悲しみや、行方の分からないお母様へのやるせない思いを抱えたまま、生活の立て直しに奔走しておられたのですね。

(佐々木)そして、子供たちはちょうど進級・進学の時期でしたから、どうするかを決めなければなりませんでした。色々と考えた結果、小学校は新居の近くへ、中学校は女川へ、高校はもとのまま石巻で、ということになりました。仙台から毎日、片道2時間半くらいかけて子供たちを学校に送迎する日々が始まりました。

(古森)少し落ち着いたのは、いつ頃になってからでしょうか。

(佐々木)6月ですかね。購入した中古物件に入居できたのが6月1日でした。新しい拠点が出来たので、少なくとも心は前向きになれたように思いました。

(古森)その後、お母様は・・・。

(佐々木)母は、ずっと行方が分からなかったのですが、2年3か月後に出てきました。今年(2013年)の6月11日のことです。警察が出している似顔絵で、もう何度も見ていた顔があったのですが、実はそれが母だったのです。その時まで気づきませんでした。でも、指輪が出て来たのです。それを見て分かりました。遺体の写真も確認して、間違いないと。震災直後の3月中に収容はされていたのですが、石巻にあがっていたので、長い間分からなかったのです。

(古森)そうでしたか・・・。でも、2年3か月たって、とうとう会えたのですね。

(佐々木)はい。やっと、仲良しだった二人を並べてあげることができました。

 

5. 新たなる挑戦

(古森)その後、佐々木さんがエルファロにたどりつくまでの経緯を、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか。

(佐々木)最初からトレーラーハウスで宿泊業を再興しようと思っていたわけではありません。私自身、新しい住まいを得てからは、ポカーンとなってしまいまして。美味しいものを食べるとポロポロ涙が出る、子供の笑い声を聞くとポロポロ涙が出る、という感じで。精神的に非常に不安定になっていました。

(古森)同じような話を、他の地域でも何度か伺いました。あれだけの大災害ですし、ご両親もなくされて、普通ではいられないだろうと思います。

(佐々木)そんな毎日の中で、私が元気になれる場所って何だろう?と考えました。そして、やはり旅館なのかな、お客さんを相手に忙しくしているのがいいのかな、と思い至ったのです。そう思い始めてから、急に力が出てきました。そして、やれるなら、やはり女川でやりたいと思いました。

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(古森)やはり女川で。女川の宿泊業界は、震災後どうなっていたのでしょうか。

(佐々木)震災前には12の宿泊事業者がいましたが、その多くが再開できませんでした。一方、災害復旧作業で来る人たちの宿泊施設が足りず、長い人では4時間もかけて女川に通っているような状況でした。それを見て、仲間うちでは「またやりたいね」という話もありました。しかし、明確なプランはありませんでした。女川は多くの土地に利用規制がかかっていましたし、資金もありませんでした。

(古森)再開したいという思いはあっても、現実は二重三重に困難があったわけですね。

(佐々木)その時、小松さん(注:女川町復興連絡協議会 戦略室の小松洋介さん)とお会いしたのです。小松さんは、震災前まで勤めていた企業を退職して、トレーラーハウスを使った宿泊事業のモデルを提案して被災各地をまわっていました。でも、ほとんど受け入れられなかったようです。ところが、女川には興味を示す人々がいました。それで、商工会や旅館組合の仲間で協力して、「グループ化補助金」(注:中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業)の申請を出すことになりました。

(古森)グループ化補助金ですか。実際に使う際には苦労が多いという声を何度か耳にしましたが・・・。

(佐々木)公的な補助金である以上、それなりの厳しいチェックを受けることになりますね。そもそも、厳密には復旧のための制度であって、以前からトレーラーハウスを使っていたわけではないという点がまず論点になりました。

(古森)なるほど、そこから既に議論が必要だったのですね。

(佐々木)そのほかにも、「本当にやるのか」、「立ちあげた後に売ったりしないか」、「完成後によそに持っていくのではないか」など、色々な角度から試されました。大変でしたが、公的なお金の融通を受けるわけですから、必要なプロセスだったのだと思います。とにかく、前例のない難しい申請でしたが、皆で協力して粘り強く取り組みました。その結果、申請から8か月ほど経過した2012年8月に、ついに許可が下りました。私を含め、4事業者共同での立ち上げです。

 

6. 力を合わせて

(古森)8月に許可が下りて、完成したのは・・・。

(佐々木)その年(2012年)の12月27日です。年内開業を目指していましたので、スケジュール的にはかなり厳しかったです。しかし、私たちはできるだけ女川の業者さんを使うことにこだわりましたし、業者さんのほうも意を汲んで積極的に動いて下さいました。途中で仕様変更なども起こりましたが、皆で力を合わせて、全工程を予定通りに完了することができました。

(古森)なぜ、それほどまでに年内開業にこだわったのですか。

(佐々木)震災後に女川から他の土地に行かざるを得なかった方々や、仮設住宅にお住まいの方々に、年末年始をご家族と一緒に過ごす場を提供したかったのです。遠くから女川に帰ってくるご家族の方々も含め、一緒に過ごせる空間を提供したいという一心で。

(古森)なるほど、そういうことだったのですね。実際、開業直後の年末年始には多くの方がご利用になられたのですか?

(佐々木)はい。町民の方々をはじめ、多くの方々が滞在して下さいました。

(古森)スタッフの方々も、やはり地元中心ですか。

(佐々木)その方針です。もっとも、現時点ではスタッフを集めるのにも苦労しておりまして、なんとかスタッフの半分以上を女川の人でそろえることができた、というところです。支配人(山本 稔 さん)は、石巻のホテルから応援に来てくれています。スタッフの育成にも取り組みながら日々奔走している状態です。

 

7. 復興の象徴になれるように

(古森)これからの展開については、何か考えておられることがありますか。

(佐々木)そうですね。ここまで走りながら立ち上げてきて、ようやくこれから先々のことを考えることができる、という感じです。

(古森)まさにこれから、という段階ですね。

(佐々木)色々なアイディアを考えていますが、やはり、エルファロが女川の宿泊施設の「核」になれたらいいなと思います。被災地初のトレーラーハウスを使った宿泊事業ですし、ここが成功すれば、被災地全体にも好影響を与えられるかもしれません。エルファロを、復興の象徴の一つにしていきたいのです。

(古森)決してやさしい道ではないですね。

(佐々木)厳しい道です。でも、女川という土地は、本当に「人」の力が大きいのです。「これをやる」と誰かが言えば、「じゃあ、私はこれを手伝うよ」と皆が力をあわせていくような土地。それが女川なのです。思いやりの強い土地なんです。だからこそ、幾多の試練を超えて今、エルファロもここにあるのです。

(古森)エルファロは、女川の人々のチームワークの象徴でもあるのですね。

(佐々木)エルファロ(El faro)は、スペイン語で「灯台」という意味です。外から女川にいらっしゃる方々だけでなく、住民の皆さんにも好意を持っていただける場、皆が集まれる場でありたいと、いつも思っています。

(古森)なるほど、「灯台」ですね。その思いが、形になることを心から願っております。そろそろ、お時間になりました。佐々木さん、今日は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。是非また、今度は宿泊客として灯台を訪ねてみたいと思います。ここから夜空の星を、楽しみにしています。

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エルファロのホームページは、こちらです ==> http://elfaro365.com/index_pc.php

(終)

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