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佐藤貞一さん(佐藤たね屋代表)

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復興対談シリーズ ~ Talk for Recovery 第3回

佐藤たね屋(陸前高田) 代表 佐藤 貞一  さん
(対談実施:2012年7月初旬)
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古森: おはようございます。お忙しい日曜日の午前中にお時間をいただきまして、ありがとうございます。この対談シリーズ、東日本大震災からの復興の現場で活動しておられる方々にお話を伺い、メッセージを世の中に発信しようということで、この4月から始めました。本日の対談は、その第3回目となります。よろしくお願い申し上げます。

佐藤: こちらこそ、よろしくお願いいたします。

古森: 佐藤さんには「Komo’s英語音読会@陸前高田」に昨年12月から来ていただいていますし、英文震災手記「The Seed of Hope in the Heart」の編成過程で私も色々と文章を拝読しましたので、「起きたこと」についてはある程度理解しております。ただ、今回は日本語で、かつ、かなり凝縮した形で、改めてお話を伺ってみたいと思っております。

佐藤: わかりました。どんな感じでお話すればいいですかね。

古森: 3つに分けてお伺いしたいと思っています。まず、震災発生から1年4ヶ月を経た今、発災当時を振り返ってあらためて胸に去来するものは何でしょうか。二つ目は、「佐藤たね屋」復活の経緯について。「The Seed of Hope in the Heart」に詳しく書かれていますが、サマリー版をお聞かせいただければと・・・。そして最後に、この震災から佐藤さんが思うこと、世に伝えたいメッセージなどを伺いたいと思います。必ずしもこの順番にこだわる必要はありません。全体としてそういうことが伺えれば、という趣旨です。

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■ こんなに涙を流したことはない

佐藤: 改めて今振り返って・・・ですか。

古森: はい。振り返ること自体がつらいことだとは思いますが。

佐藤: そうですね。一言でいうと、「こんなに涙を流したことはない」ということですかね。

古森: こんなに涙を流したことはない・・・。

佐藤: 地震が起きた後、私は店が津波の被害にあうとは思っていませんでした。ただ、数日前の地震でダメージを受けていた実家の石垣が心配で、妻と二人で実家に向かったのです。

古森: 津波から避難したのではなく、ご実家の石垣が心配でそちらに向かわれたと。

佐藤: そうです。海から10キロくらいのところ、山の中です。母が住んでいますので、大丈夫かなと心配だったのです。

古森: ところが、実際は津波が何もかも壊してしまった・・・。

佐藤: 震災から数日後に、店のほうに向かいました。瓦礫で道路が寸断されていましたので、歩いて山を越えて、高台に出て、店のあったあたりを見たのです。そしたら、店はおろか、近所の住宅街、工場、桜の木、ハナミズキの並木道など、見慣れた光景はあとかたもなく消え去っていました。

古森: あとかたもなく・・・。

佐藤: 私も多くのものを失いました。店、住まい、ビニールハウス、フェンス、倉庫など、それまでに作り上げてきたものすべてが、一瞬にして蒸発したかのようでした。ただもうその場に崩れるように膝をついて、その光景を見ていましたね。

古森: 私には、言葉もありません。

佐藤: そのときは、泣きはしませんでしたよ。気仙男児は人前では泣いたりしません。でも、一人になると、朝でも晩でも、毎日のように泣いていました。親しい人が、数多く亡くなりました。私の叔父と叔母も流されました。瓦礫の中を、行方の分からない家族や知人を探して歩き回る人々がたくさんいました。その姿を見ていたら、また泣けてきて・・・。こんなに泣いたことはなかったですね。

古森: そこから気持ちを立て直していくというのは、本当に大変なことですね。

佐藤: 毎日のように泣きながら、それでも私は思ったのです。ああ、でも私は生きているじゃないか。亡くなった人たちがそこら中にいるのに、私は生きているじゃないか。生きるも地獄、死ぬるも地獄。もっとひどい思いをしている人もいる。強く生きなければ。何が何でも頑張らねば。為せば成る。為さぬは人の為さぬなりけり。な~に、先人はもっと苦労していたに違いない。ここから這い上がろう、と思いました。

古森: 不屈の精神ですね。

佐藤: あきらめない精神というのは、日本人の原点だと思います。

■ 復活! 佐藤たね屋

古森:  震災後の、「佐藤たね屋」復活までの道のりをあらためてお聞かせ下さい。厳密には、震災前は「佐藤種苗」で、震災後に再興するにあたって「佐藤たね屋」になったのでしたね。

佐藤: そうです。店の再興にあたっては、最初にぶつかった現実的な問題は地震保険の有無でしたね。

古森: 地震保険。たしかに、保険が下りるのと下りないのとでは大きな差がありますね。

佐藤: 私は、地震保険には入っていなかったのです。

古森: 「・・・。」

佐藤: 震災当時は、折しも春の植え付けシーズンに向けて種も苗も思い切り仕入れた直後でした。つまり、買掛金が一年で一番膨らんでいる状態だったのです。その品物は全部店ごと流されて、しかし買掛金だけは残ったわけです。しかも保険は出ない。

古森: ゼロになったどころか、マイナスからのスタートですね。

佐藤: だからもう、「やるしかない」「何が何でも頑張らねば!」という心境になりました。保険が出なかったのは本当に苦しいことでしたが、逆に今思えばそれがバネになりました。保険金が出ていたら、私は動いていなかったかもしれません。

古森: それで、最初はどのようにして店を?

佐藤: まず、実家に残されていた軽トラックの荷台に「心に希望の種を」と赤ペンキで手書きして、移動式店舗にしました。4月初旬のことです。

古森: 4月初旬には、もう・・・。今も軽トラックにはその文字が、少し消えかけながら残っていますね。

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佐藤: MAIYAさん(注:この地域メインのスーパーマーケット)の仮設店舗の駐車場の脇に軽トラックを停めさせていただいて、そこで細々と商売を再開しました。でも、軽トラの荷台ですから雨が降るとダメですし、時期もまだ悪かったかもしれません。さっぱり売れなかったですね。

古森: 苦難の船出ですね。

佐藤: 次は、実家の納屋を使ってみることにしました。しかし、そもそも山の中ですし、納屋は雨漏りがしました。しかも、車をおく場所が十分になかったのです。納屋を使うことは早晩あきらめました。

古森: そこもあきらめざるを得なかった。

佐藤: 次に考えたのは、田んぼの土地を転用できないかということです。海岸から8キロくらいの横田町に田んぼを持っていまして。ところが、その地域は「農業振興地域」に指定されているため、農地の転用は出来ないということが分かりました。こういうところは、被災地であろうとまったく融通はきかないのです。それでも固定資産税は支払い続けているわけです。

古森: 非常時であっても、土地の用途はなかなか変えられないのですね。

佐藤: まあ、震災で行政のほうも大きな被害を受けていましたから、行政は行政で大変だったのだと思いますよ。

古森: その次は?

佐藤: 田んぼの土地が店に使えないとなると、次は行政の補助事業を活用しようと思いました。他業種と組んで事業を申請すれば土地と建物が補助されるという仕組みがあるのを知りまして。昨年の6月頃の話です。それで、とある車屋さんと一緒に組んで申請してみたのですが、手続きが遅く、断念しました。やはり、行政に頼っていないで、自分で動かなければだめだ!と思いました。

古森: 陸前高田市は、市役所も3分の1くらいの職員の方々が亡くなったと聞きました。行政のほうも、震災後しばらくはどうしようもない状態だったのでしょうね。

佐藤: そうなのです。あれだけの大災害ですし、その直後に行政に何かを期待するというのも無理があります。やはり、まず自分で動かないとダメですね。

古森: それで、ついにこの店舗のあった場所に戻って来られたと。

佐藤: 俺はやはりここに戻る、と決めました。昨年7月のことです。

古森: しかし、店舗跡といっても、瓦礫の山で水浸しですよね・・・。

佐藤: どこから手をつけるか、最初は見当もつきませんでした。でも、決めたんです。目先のことから、一つひとつ、きちっとやっていこうと。それでまず、風よけの設置です。高田松原がなくなってしまいましたから、海からの風が直接吹き込んできます。知人から鉄パイプをもらって、実家のものとあわせて、風よけを作りました。

古森: ありものを継ぎ合わせて。

佐藤: 次に、何か緑を植えようと思いました。一面瓦礫の荒野になっていましたから、緑が欲しくて・・・。それで、トマトを植えてみました。私は植物の中でも特にトマトやナスが専門ですから、トマトならやれるのではないかという自信はあったのです。そして見事、トマトは育って、たわわに実りました。育ち行く緑を見ていたら、勇気がわいてきましたね。また、津波で家族を亡くし、泣きじゃくっていたお客さんが、この津波跡トマトを食べるとき、少しのほほえみを浮かべていましたよ。植物の緑、果実の赤い色。それは人を勇気付けるのでしょうね。

古森: 新たな生命が、津波の大地に。

佐藤: その次は、やはり建物をなんとかしなくてはならないということで、中古のプレハブを探しました。しかし、震災後はその手の資材が全国的に品薄になっていて、なかなか見つからなかったのです。

古森: とくに建築系の資材は数ヶ月にわたって欠乏が続きましたね。

佐藤: そんな時、偶然にもヤフーのオークションで鳥取県のリサイクル業者さんから買うことが出来たのです。あれは運だったとしか言いようがありません。業界の仲間や以前の通信販売のお客様、そしてボランティアや支援団体の方々からの支援金を生かして、なんとかその中古のプレハブを購入することが出来ました

古森: それが今の店舗の真ん中の部分ですね。

佐藤: そうです。ただ、やはり中古のプレハブでしたので、当初は雨漏りがしました。まずはその修理です。隙間を塞ぎ、天井を補修して、屋根を付け、ドアを付け・・・。大工さんでもないのに、とにかくもう必死にやっていたら、なんとなく仮店舗らしきものが出来上がりました。

古森: よくここまで自作で・・・。私も日曜大工で小屋を作ったりしますが、この半分の大きさでも大変ですよ。しかも電動工具を使って。

佐藤: やるしかありませんから、こっちは。経験がないとか、道具がないとか、材料がないとか、そういうことは言っていられなかったのです。やるしかないということです。震災にあったら、誰でもそうなりますよ。他人事ではないかもしれませんよ。

古森: そこから、今度は・・・。

佐藤: 井戸掘りですね。ここは津波最前線の地域で、1年4ヶ月経過した今でさえ、まだ水道も来ていないのです。でも、苗を育てるわけですから、水は必須です。さてどうするかということで、井戸を掘るしかないなと。

古森: 井戸を掘るのも、別にご専門というわけではないのですよね?

佐藤: 初めてですよ!

古森: しかも道具もない・・・。

佐藤: 最初は、料理の「おたま」で掘り始めました。

古森: 「おたま」って、あの玉じゃくしのことですか。

佐藤: そうですよ。それしかなかったのです。次に缶詰の空き缶を使ってみました。しかしそれも、なかなかうまく掘れない。やがて、竹の筒に土抜きの弁を付けて掘り下げることを思いつきました。

古森: 必死の工夫ですね。

佐藤: 来る日も来る日も、汗だくになりながらひたすら掘りました。掘ってもすぐに崩れてきてしまうので、一日に何センチも進まないこともありました。そのうち、掘った分だけパイプを入れ込んでいくことを思いついて、それで少しずつ進むようになりました。それで結局、5メートルくらい掘りましたかね。そしたらやっと、水が出てきたのです。

古森: 手作りの道具で、手掘りで、5メートル掘って・・・。出るかどうかも分からないのに。それでも5メートル掘って、とうとう水を。

佐藤: 塩水だったら困るなと思っていましたが、幸い真水でした。しかも、地下水ですから夏に涼しく冬場には凍らない、たいへん便利な水です。

古森: 5メートルですか・・・。

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佐藤: 水が得られたので、今度はビニールハウス作りです。陸前高田は三陸の地中海と言われたくらいで、東北の中では比較的暖かい土地柄です。それでも、やはり東北ですから、冬は苗をそのまま育てられるような環境ではありません。ですから、育苗のためのハウスは必須なのです。しかも、単にハウスにするだけではダメで、普通は電熱線を通して保温するのです。それを、何もないこの場所に再現する必要がありました。

古森: 私も畑をやっているので多少はわかります。春先に苗で出そうと思ったら、芽出しは厳冬期ですよね。しかしそれを、何もないところでどうやって?

佐藤: 色々な部品、資材を集めてきて、ハウスを自作しました。床には発泡スチロールや毛布類の屑などを敷きつめまして、できるだけ断熱効果をあげようと工夫しました。竹を割った資材を火で曲げ加工してトンネルのアーチを作って、夜間はそこに毛布をかけて保温するようにしました。

古森: いま対談させていただいている、このハウスですよね。これ全部、手作り・・・。はぁ~、ため息が出ますね。

佐藤: でも、全部自分ひとりでやったわけではないですよ。店舗もハウスも、時々来てくださるボランティアの方々に色々とお世話になりました。基本的には自分一人でもやる。誰か助けてくださるなら、有難く協働する。まあ、必死で頑張っていると、人は声をかけてくれるものですよ。そのようにして、なんとか店舗、井戸、ハウスが昨年末までに出来上がりました。

古森: 復活!ですね。

佐藤: 完全復活とはいきませんが・・・。昨年の段階で、再興を進めながら細々と売り上げが上がり始めました。少しずつ商売が戻ってきている感じです。今年になって、行政からもついに店舗再興のための補助が出ました。経済的にはまだまだですが、気持ちとしては、今年はもっと頑張ろう!と前向きに思えるところまで来ました。つらくても、自力でやり始めて正解だったと思います。

古森: 自力復活の最初の歯車を回したのは、地震保険が下りない状況で買掛金があり、「やるしかない」という状況そのものだったわけですよね。そこから「為せば成る」という思いで復活された佐藤さんの口から出る、「自力でやり始めて正解だった」という言葉には、大変な重みとリアリティがあります。

佐藤: 本当にそう思いますから。あの時自分で動き始めていなかったら、今になっても何も出来ていなかったかもしれません。

古森: その言葉、被災地のみならず、現代日本全体に送るべき強烈なメッセージだと思います。

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■ 歴史をロマンではなく事実で見ることの重要性

古森: さて、少し話は変わりますが、佐藤さんが英文震災手記「The Seed of Hope in the Heart」を書かれた理由の一つとして、「正しく記録を残したい」という思いがありましたね。これについて、もう少しお聞かせ願えないでしょうか。確かに、記録を残すというのは将来の防災の観点からも重要なことだと思いますので。

佐藤: とても重要なことだと思っています。今回の津波被害も、私たちがもっと正しく歴史を理解出来ていたら、軽減できた部分があったかもしれないのです。

古森: 過去の津波の歴史が、あまり正しく伝わっていないと?

佐藤: その可能性が高いと思います。今回の津波はあまりにも悲しく、そして悔しく、この一年間ほどの間に色々と私も調べてみて、気づくことが多々ありました。

古森: 例えば、どんなことが・・・。

佐藤: そもそも、陸前高田にこれほどまでの大津波の記録は残っていませんでした。多くの人は、日頃から避難訓練はしていたものの、これほどまでの津波が来るとは思っていなかったと思います。少なくとも、皆が知っている程度の過去の記録の中には、こんな出来事はなかったのです。

古森: だからこそ、海に面したこの地域に陸前高田市の市街地が発達したのでしょうね。

佐藤: ところが、1611年の慶長三陸津波のことを、当時偶然にもこの地に来ていたスペイン人、Sebastian Vizcainoが記録に残しているのですよ。その後しばらくして日本は鎖国になりました。この地では、その津波のことを言い伝える記録は見当たりません。一方、スペインではそれが残されていました。なんという皮肉でしょうか。その記録によれば、少なくとも今の今泉のあたりまでは津波に飲まれたという事実があったようです。当時あった村が壊滅したようですね。

古森: 400年くらい前に、かなりの規模の津波が来ていたと・・・。

佐藤: この規模の津波は「千年に一度」などと言われますが、それは869年の貞観三陸津波のことを指しているものと思います。でも、実はそれよりもずっと近い過去に、この地域には大津波が来ていたわけです。

古森: 400年と1000年では、かなりサイクルのイメージが変わりますね。

佐藤: その後、1896年の明治三陸津波では19名、1933年の昭和三陸津波では3名、1960年のチリ地震津波では8名と、被害は出ましたが被害者の数は他の地域に比べてそれほど多くはなかったのです。それがかえって、「ここには大津波は来ない」という油断になったのではないでしょうか。400年前の大津波をもっと鮮明に覚えていたら、陸前高田市の街づくりは違ったものになっていたかもしれません。

古森: 過去の津波に関しては、地域単位で見ると必ずしも詳細の文献が残っているとは言えない状況・・・。だとすると、現実的には何を手がかりにして過去の津波や災害の歴史を想像するかですね。佐藤さんは、植物の専門家だけあって、木の樹齢に着目しておられますね。

佐藤: はい。例えば、今回の津波で流されてしまった今泉天満宮の下にある天神大杉ですが、この樹齢は一般的には550年くらいと言われています。直径などから想像するに、もしかしたらもう少し若くて350年~400年くらいという可能性もあるなと個人的には思っていますが・・・。いずれにしても、重要なのは樹齢に関して諸説に大きな差があるという点です。これを防災の観点で見た場合、どういう意味を持つか分かりますか?

古森: それだけ大きな差があると、「何年くらいそこに津波が来ていないか」の目安がつけにくいということですか。

佐藤: そうです。今回の津波で、天神大杉は根に塩水が入り、枯れかけています。耐えてくれることを祈りますが、植物として冷静に見ると枯れる確率は高いと言わざるを得ない状況です。津波をかぶった他の杉の木も、山裾で軒並み枯れています。根元まで津波が来た場合には、杉は枯れることが多いのです。だとしたら、その土地に残っている杉の樹齢を見れば、「少なくとも過去に何年間くらいは安全だったか」はある程度想像できるわけです。

古森: なるほど。過去の大津波の年代まで正確に特定は出来なくても、少なくとも安全だった期間が過去何年くらいかは、想像しうるわけですね。

佐藤: いずれにしても、かたや「1000年」という話があり、一方で数百年という見方があるわけです。歴史ロマンとしては1000年でも構わないのですが、「1000年くらいの間は、ここには津波が来ていない」という示唆としてとらえてしまうと、防災への意味合いはまったく変わってきます。

古森: たしかに。

佐藤: 種屋というのは、種の播き時 苗の植え時を 異常なほど気にするものなのです。よって、樹齢についてもことのほか気にします。つい、「この木を植えた年月日を知りたい」と思ってしまいます・・・。

古森: 高田松原に残った「希望の一本松」についても、ご自身で調べておられましたね。

佐藤: あの木に限らず、高田松原の松のことを考察していくと、色々なことが推定されてきます。まず、高田松原が作られ始めたのは400年くらい前からです。

古森: 400年前・・・。慶長三陸津波の後から造林が始まったということでしょうか。津波を意識した造林だったのかもしれませんね。

佐藤: そうかもしれません。しかし、今回の津波でほぼすべての松がやられました。一本だけ残った「希望の一本松」の樹齢は、約270年といわれています。一本松の年輪を数えることは出来ませんが、周囲の木の直径などから類推するに、もう少し短くて180年~200年くらいかもしれません。あの松は他の松よりも大きく、おそらく松原で最も樹齢の長い松だったものと思われます。その一本松でさえ、400年前からずっと立っていたわけではないということです。

古森: 400年前に造林を始めた松原で、2011年時点で一番古いと思われる松が、せいぜい200年くらいの樹齢かもしれないわけですね。

佐藤: その間の約200年間、何があったのか。色々な事情がありえますが、もしかしたら、松原がダメになる程度の津波が200年位前の段階で陸前高田に来ていたのかもしれませんよ・・・。海沿いに市街地が形成されたのはここ30年くらいのことですから、その頃には松原がやられるだけで、人家への大きな被害はなかったのかもしれません。だから記録されていないという可能性もあります。

古森: そのように推察していくと、「千年に一度」ではなくて、かなりの高頻度で津波が陸前高田に来ていた可能性もあるわけですね。少なくとも、木々の樹齢から推定すると、そういう仮説的シナリオもありうるわけですね。

佐藤: 歴史的建造物なども、同じような推定の材料になります。ですので、実際の建立年などを正しく記録しておくことは、後世の推察を助けるために大変重要なことなのです。私も歴史ロマンは好きですが、防災の観点からは、やはりしっかりした記録の作成と保存、これが重要だと痛感しています。

■これからの復興を見据える

古森: 最後に、今後の展望や復興への思いなどをお聞かせ下さいますか。

佐藤: まあ、現実問題として、この店でずっと商売をしていくのは難しいだろうと思っています。

古森: え、そうなのですか。せっかく再建したのに。

佐藤: なぜかというと、復興計画の中でここは「かさ上げ」が決まっていますからね。いずれこの店舗は立ち退く日を迎えることになります。ただ、それが3年後になるのか5年後になるのか。これは分かりません。当面、行政のほうの成り行きを見守るしかないですね。

古森: それはまた、不透明ですね。

佐藤: 行政にも事情はありますし、私は不透明でも「不安」には感じていないですよ。もともと、人の助けに感謝しつつ、根底の部分では「自分でやるんだ」ということで進んできましたから。

古森: これからのさらなる復興も、その基本スタンスは変わらないと。

佐藤: やっぱり、自分でやろうとしないと、自分で動いていかないと、ダメだと思いますよ。それは、お互いが協力しないとか、人の助けを拒否するとか、そういうことではありません。人と助け合いながら、ボランティアさんや支援団体の方々、そして行政のサポートなども有難くいただきながら、基本の姿勢をどうするかということです。「他者の助けがないと動かない」のではなく、「まず自分が動く」ことから始める。そういうことです。

古森: 様々な支援がうまく生かせるかどうかというのも、支援を受ける側の姿勢で変わる面が大きい・・・ということですね。

佐藤: そうです。これだけの被害ですから、本格的な復興にはまだ多大な時間と労力を要すると思います。それでも、被災した我々が「為せば成る」という心を持って、まず自分から動き始めるということが、被災地全体で重要なテーマだと思います。そうなっていけたら、復興は加速していくことでしょう。そうありたいです。

古森: そろそろ、お時間になりました。あっ、ちょうどお客さんが来られましたね。佐藤さん、本日は貴重なお話をお聞かせ下さり、ありがとうございました。私もまた改めて、強く感じるものがありました。私は私で、自分がやるべきと思うことをここでやり続けていきたいと思います。佐藤さんのメッセージを読んで、被災地のみならず日本中の人々が何かを感じて下さったらいいなぁと思います。

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(終)

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