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3.72012
佐藤貞一さん(佐藤たね屋)について
佐藤貞一というひとについて、話したいと思います。 私たちが心から尊敬する人です。
- 佐藤たね屋(種苗店)という小さな店の事業主です
- 津波が起きた時には海岸沿いの国道にあるホームセンターで買い物中でした
- 偶然、津波から逃げることができ、生き延びました
- 店舗と自宅は津波で流されました。春まきの種もすべて流されました
- 家があった一帯は今は何もありません
- 借金は残りました
- 「借金も持ってってくれたらなぁ」「でも取引先に迷惑はかけられないから、やらなくではと思った」といいます
佐藤さん(左)、Komo(右)
- 軽トラックの荷台に乗せて、苗を売り始めました
- もともと店舗があった場所に、仮設店舗を作りました。材料は手に入らないので、瓦礫で作りました
- 納屋には自分で絵をかきました
- 看板も自分で作りました
- すごいと言うと、「いや、素人仕事の出来栄えだから」と答えます
- 苗には水が必要です。水道はなくなりました
- 井戸は5m、自分で掘りました
- 道具もない中でしたので、作りました。最初はお玉で、竹で、いろいろ試しました
- 今ではポンプをつけました。もちろん自分でやりました
- 大工仕事は、震災後初めて取り組みました
- 「やればできるもんだ」といいます
- 陸前高田にUターンするまでは、トマトの品種改良が専門の仕事でした
- 津波のあと、塩害にあった土地でどの作物が良く育つか、実験しています
- トマトも、何種類も作っています
- 「種をまくこと、何かを育てることで、元気がでる」といいます
- 被災手記を書きました
- 2012年3月11日に第一版が発行されました
- 英語で書きました
- 英語は得意ではありません
- 日本語では辛すぎて書けませんでした
- 言葉とこころの間に少しだけ、距離を置きたかった
- しかし、亡くなられた方々のためにも事実を残す、伝えるべきだと思った
- そんな風にして、”The Seed of Hope in the Heart”はうまれました
- 2013年3月11日に 第三版が発行されます
- いつの間にか、伝えたいことが増えました
- どうしたら被害を小さくできたのか
- どうしたら同じ悲劇を起こさないのか
- 「歴史から学ばなくてはならない」と、佐藤さんはいいます
- 佐藤さんは、今日も種をまき、水をやり、苗を育てます
- もうすぐ春になり、夏になり、今年もトマトが実るでしょう
- 伝え続けます
- 地理を越えて広く、時代を越えて長く、伝えようとする佐藤さんに、いつもわたしたちは動かされます
Komo & Hiroko