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「在心中希望的種子」~佐藤貞一さん台湾へ

陸前高田市の「佐藤たね屋」代表、佐藤貞一さんと一緒に台湾に行って参りました。

台湾の方々から賜った震災後支援への御礼とご挨拶を津波被災者ご本人の口から中国語でお伝えするとともに、より大きな文脈としては、津波被災地と諸外国の人々との将来に向けた交流の種を蒔き続けよう・・・というビジョンに沿った活動です。

一般社団法人はなそう基金(代表理事:古森 剛)と日台若者交流会(代表:安西 直紀)が企画段階から協力し、数多くの方々のご縁・ご尽力に恵まれながら、佐藤さんの訪台をサポートさせていただきました。

日程は、2014年6月20日(金)~22日(日)の三日間。合計約230名の台湾の方々に、佐藤さんから直接メッセージをお伝えすることができました。海を超えた交流への希望の種を蒔くことができました。

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1. 原点は「The Seed of Hope in the Heart」

Komo’s英語音読会@陸前高田の創立時からの参加者である佐藤貞一さん。偶然が重なって津波から間一髪で逃れたものの、家財・事業資産のほぼ全部を失い、保険に入っていなかったため借金だけ残ったのが2011年3月・・・。その厳しい状況から艱難辛苦に耐え、刻苦勉励、家業である種苗業を手作りで復興させつつ、英語・中国語を自学自習しながら震災記録手記を執筆されました。三陸は気仙地域、陸前高田の津波最前線の荒野から世界人類に向けて情報発信を続けておられます。

その冊子の名は、英名「The Seed of Hope in the Heart」、中国語名は「在心中希望的種子」といいます。 

ことの経緯は、2011年冬にまでさかのぼります。一般社団法人はなそう基金は、震災被災地における国際交流を促進することによる復興支援を企図しており、その一環で毎月一回開催している「Komo’s英語音読会@陸前高田」があります。2011年12月、発足間もない英語音読会に、佐藤貞一さんが参加されました。当時は、時折訪れる外国からの来訪者に、英語でメッセージを伝えたいということでした。

そのため、はなそう基金の活動会員でお手伝いして、佐藤さんの英語による震災体験手記の作成が進められました。震災から1周年となる2012年3月、手記が完成。タイトルは「The Seed of Hope in the Heart」。津波被災者が自作の英文で世界に向けて情報発信をするという、稀有な試みとなりました。なお、同英語版冊子はその後改訂を重ね、1,300冊以上が世界に読み手を見つけました。現在は、第4版が世に出ています。

 

2. 中国語版の執筆~「在心中希望的種子」

一方、佐藤さんにはもう一つ思いがありました。震災後、いち早くかけつけて下さり、経済的な面でも多大なる支援をして下さった台湾の方々に御礼の言葉を伝えたい・・・。

佐藤さん以外にも、例えば台湾の慈善団体「慈済」(ツーチー)による各戸5万円支給のことなど、台湾の方々への感謝の思いを抱く人は多いのです。しかし、まだ海外訪問どころではない現実の中で、直接思いを伝える術を持つ方は限られています。そこで、佐藤さんは英文で書いた手記を中国語で書いてみることを思いつきました。2012年6月のことです。最初に渡された中国語の書かれた紙切れ一枚を、私(古森)は今でも鮮明に覚えています。そして、「やってみようかと思うんです」という佐藤さんの声も。

早速、はなそう基金の活動会員で台湾出身者(Hsin Nakanoさん)がサポートを始め、在台湾のTin-Tin Chouさんが最終校正を行い、およそ一年の共同作業の末に中国語(繁体字)版の手記が出来上がりました。タイトルは、「在心中希望的種子」。英語版の内容を踏襲しつつも、あらためて中国語圏の方々に伝えるにふさわしい内容として佐藤さんが練り直して作成した力作でした。この手のものとしては、唯一無二の冊子です。

 

3. 訪台を決意

この冊子の完成を見るにあたり、次なるステップは、実際に台湾現地を訪問してメッセージを伝えることであるとの思いが、佐藤さんにも私(古森)の方にも、自然にわきあがってきました。「行ってみましょうか!?」と。

そして、2014年春、種苗業の繁忙期を超えて一息つく6月頃に訪台することが正式に決定されました。台湾における訪問先の具体化などの面で、既に日台の交流事業で実績のある日台若者交流会と協働することとし、訪台企画が練られて行きました。私(古森)自身は訪台経験がなかったため、あらかじめ3月末に現地視察に行きました。その頃から、日台若者交流会からのご縁や、はなそう基金関係者からのご縁、その他FACEBOOKの友人からのご縁などが重なり、訪問先の具体化が進んで行きました。

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並行して、佐藤さんのほうでは、冊子のまま講演やご挨拶をするわけにはいかないため、内容の骨子をパワーポイントのプレゼンテーションに落とし込み、読み上げ原稿の準備などが進められました。はなそう基金の活動会員との共同作業です。読み上げ原稿が固まってからは、佐藤さんはひたすら音読に励み、訪台直前の段階では、はなそう基金の活動会員で中国出身のメンバーが一様に「驚いた」というコメントを発するまでに上達されました。

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おそらく、3か月間程度の準備期間中に、数百回単位での音読をされたことと思います。文法もピンインも四声も正式には習ったことがなく、ただひたすらお手本の読み上げ音源を聴きながら音読を重ねられたのです。

 

4. 訪台初日:6月20日(金)

訪台初日は、佐藤さんは早朝に陸前高田を発ち、東京駅まで来られました。私(古森)と合流して、昼過ぎの羽田空港発の便(エバー航空)に搭乗。15時過ぎに台北の松山空港に到着しました。

その後、夕方から早速第一回目の講演です!場所は、東呉大学の日本語学科。期末試験を終えたばかりの学生さんや関係者等を含め20名程度の教室で、私(古森)の中国語による開会挨拶の後、佐藤さんの中国語による講演が行われました。

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講演には、監察委員の錢林慧君さんや、李安妮博士(李登輝元總統の御令嬢)にもご来臨いただきました。講演後に参加者の皆さんとの間でいくつか質疑応答があり、なごやかな雰囲気でセッションは終了しました。

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終了後、錢林さんや李さんからは、「どうやって中国語を勉強したの?」というお言葉がありました。佐藤さんは照れくさそうに、「勉強は、シテナインデス」と。そして、徹底した音読のことをお話しになりました。

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3月の企画段階から一緒に様々な検討・準備をして下さった、日本語学科の彭教授に心より感謝申し上げます。彭教授は、講演後に学内の飲食施設で懇親会を開いて下さいました。重ねて御礼を申し上げます。

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5. 訪台2日目:6月21日(土)

2日目は、朝から台湾高鐡(新幹線)で台中まで移動しました。台中での日程は、台中在住で日本でのご経験もある林さんに同行いただき、運転や通訳でお世話になりました。朝9時半に、新幹線の台中駅で林さんと合流。

午前中はまず、921地震教育園区に行きました。施設内の案内を受けた後、スタッフの方々に対して佐藤さんが講演。

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訪台中の講演内容はすべて同じものですが、さすがに震災関連施設のスタッフの方々ですので関心も高く、またご本人が被災された方もおられて、非常に熱のこもったセッションになりました。

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午後は、台中科技大学に移動して、日本語学科の生徒さん中心に合計約120名の皆さまを相手に講演。2クラスに分けて、2回実施しました。

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佐藤さんは声が枯れかけていましたが、「自分一人で来たわけではない、陸前高田の震災犠牲者2000人の魂を背負ってきたのだ、頑張らなければ」ということで、最後まで大きな声でしっかりと講演をされました。終了後、多くの参加者から好反応がありました。

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夜は、財団法人羅許基金会羅東博愛医院 董事長 医学博士 許 國文さんによる晩餐会にお招きいただきました。はなそう基金活動会員の日下さんを通じたご縁です。ありがとうございます。

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6. 訪台3日目:6月22日(日)

3日目は台北にとどまり、午前中はまず慈善団体「慈済」(ツーチー)の本部への御挨拶・御礼訪問。慈済は、陸前高田でも震災後早い段階から支援に入り、今でも数多くの陸前高田市民がそのことを記憶しています。

(今回の訪台を前にして私を慈済につないで下さったのは、台北でGo Beyond Co. Ltdの代表をしておられる、田村さんです。田村さんには、その他にも種々お世話になりました)

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佐藤さんとしても御礼の言葉を伝えたいと願っていた訪問先の一つでした。実際に陸前高田へのミッションを率いておられた方ともお会いして、しばし当時のお話しを・・・。

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その後、同団体が運営する大愛TVの取材を受けました。
(その結果報道された番組は、こちら ⇒ http://www.daai.tv/daai-web/news/content.php?id=47513 )

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取材を終え、館内をご案内いただいている際に、ひとつ奇跡的な出来事がありました。

佐藤さんは、今回の訪台に、震災直後に使っておられた自称「みすぼらしい」シャツをお持ちになりました。そのシャツにつけてある「平安」の文字をかたどった飾り・・・。震災直後に台湾の慈善団体「慈済」(ツーチー)の方がご実家の近くに来て歌を歌って下さって、そのときに頂いたものだそうです。佐藤さんは、今回の訪台講演の中で、毎回そのエピソードを紹介しておられました。

ふと、「・・・佐藤・・・さん?」と声をかけて来た人がありました。

その人は、1Fの講堂のようなところで佐藤さんを見つけて、近づいて来られました。佐藤さんもすぐに反応して、「あああっ!」と。なんと、その「平安」の文字飾りを佐藤さんに渡してくれたご本人が、そこにおられたのです。何の予定もなしに。その方は、たまたまお茶かお花の行事があって、そこを訪れていたのでした。「この人、これをくれた人ですよぉ~!」と、佐藤さんの嬉しそうな野太い声が響きました。二人はお互いに当時のことを鮮明に覚えていて、当時の話に花が咲いていました。

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奇跡としか言いようがありません。なつかしそうに談笑するお二人の姿を見ていて、私(古森)は涙を止めることが出来ませんでした。周囲にたくさんの人がいましたが、どうにも止められませんでした。

その後、昼前にお茶の名店「廣方園」さんを訪問。店主もご親族一同も、日本のことを深く思って下さっているのがわかりました。炭火に岩手の南部鉄瓶のかかった素敵な店内でお話をさせて頂きました。

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さて、午後は今回の訪台中の最大のイベント、「”3.11″ 東日本大震災 3年を経て私たちが学ぶべきこと」。交流協会の台北事務所の地階ホールをお借りして開催しました。

(以下、イベント概要)
■日時:2014年6月22日(日)14:00~16:30(開場13時30分~)
■場所:交流協会 台北事務所 文化ホール(台北市慶城街28号通泰商業ビル 地下1階)
■参加費:無料
■内容:
①「つながり、学ぼう ~ 東北での活動機会」
一般社団法人はなそう基金 代表 古森 剛

②「在心中希望的種子」
岩手県陸前高田市 佐藤たね屋 代表 佐藤 貞一

③ワークショップ「”3.11″からの学び ~ 実践的防災知識」
日台交流・クイズ形式!

イベントには、台湾高座会総会長の李雪峰さんを始め、約70名の皆さまにお越しいただけました。まずは、私(古森)のオープニング・スピーチの後、佐藤さんの中国語による講演。

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今回のすべての講演で同様のパターンで行いましたが、佐藤さんの中国語講演は回を重ねるごとに良くなり、まさに圧巻でした。また、今回に限り、会場に中国語の分からない方もおられたため、日本語による簡潔な補足も入れていただきました。

その後、当初の議題には入れていませんでしたが、被災地の写真撮影を続けておられる平林克己さんの活動ご紹介がありました。上海など世界各地での写真展を継続しておられる方です。台湾でも今秋に写真展を開催とのこと。

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〆は、淡江大学客員教授 石田光義さん、淡江大学国際事務與戦略研究所 岩本由起子さんによる防災関連知識のクイズ形式セッション。動きも入れた形でのセッションで、盛り上がり、参加者の皆さまには有益な防災情報をお持ち帰り頂くことができました。

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夜は、台湾外交部亜東関係協会秘書長の羅 坤燦 さんによる歓迎晩餐会に参加。実に様々な形で交流を深めた一日となりました。

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7. すべての日程を終えて

翌朝(月曜日)、5時にホテルを出て7時台の飛行機(エバー航空)に乗り、昼前に羽田空港に到着しました。佐藤さんは、そのまま新幹線に乗って岩手県へと向かい、夕方には陸前高田のご自宅に到着されました。

以下、佐藤さんによる訪台後のコメントです。佐藤さんのFACEBOOKから拝借いたしました。

————– (引用開始)————–

海を渡ったら、大学の教壇で拍手を浴びていた。なんだ、これは?大学の教室なんぞに入ったことない。日本の田舎のタネ屋だ。社会的地位も低い。名のるほどの者でない。若い、賢そう、好奇心の目は矢の如し、身に突き刺さった。本当に中国語喋るのかナ?だが、なにか温もりがある。何かを発せよとの期待感も感じる。

さあ、台湾学生諸君、聞いてくれ!中国語ご返礼御挨拶、ピンイン、四声など知らぬ。だが、礼には礼を、その気持ち、台湾人、日本人、相通じるだろう。津波で被った艱難辛苦、是にくらぶれば、無学の中国語で御挨拶、何も怖くはない。中文を書き、津波最前線の地で、幾度となく思い出し、涙し、音読してきた。

気仙流儀、御家紋風呂敷を教壇に広げ、黙とうす。すると、落ち着いた。津波で亡くなった陸前高田二千人の魂が乗り移った。中国語がスラスラ口からでてきた。自分でも驚いた。原稿の緊張する、と喋るところ、実際、緊張するのを忘れ、夢中で読んでいた。何かに操られている。Mozoyana(気仙お祈り言葉) 自然に手を合わせ、言葉に動作がかみ合う。震災の衝撃を思いを込めて伝えている。言葉ではない、気持ちだ。

大学の先生に言われた。良く伝わるという。この前日本の歌手の中国語を聞いたが、それより分るという。驚きのコメントだが、それは震災の悲惨さがなせる業だ。また、何か魂のようなものを感じたともいう。いずれにせよ、下手な中国語だが、被災者自ら、台湾のご支援に対し、御礼を申し上げ、礼には礼を、日本人として、その意は少しでも伝えたようだ。

————– (引用終了)————–

 

今般の訪台は、佐藤さんご本人にとっては、「お礼を伝えたい」という思いを一つ遂げる機会となったことでしょう。しかし、佐藤さん個人と台湾の方々という直接的な意味を超えて、もっと大きな示唆があるのだということを私は感じています。

それは、被災地の地元の人が海外と自らつながろうとする活動の象徴であり、外国語学習における地道な体育的取り組みの象徴であり、思いがあれば自ら動くべしという姿勢の象徴であり、思いと行動のあるところに良い縁が生まれるという巡り合せの象徴であると思います。

前述のように、佐藤さんは、「私は中国語の勉強はしてませんよぉ~」とおっしゃいます。 ある意味、その通りであり、佐藤さんは頭で勉強するのではなく、延々たる日々の音読を通して体で文字通り「体得」されているのです。

佐藤さんはまた、冊子の作成も読み上げの練習も、色々な人のサポートがあって実現したことだとおっしゃいます。そうかもしれません。しかし結局は、ご本人の「Do」がなければ何のサポートも意味を持ちえないわけです。

佐藤さんの偉業を偉業として「消費」するのではなく、「では、自分はどうすべきか?」という方向に考えて、佐藤さんに感銘を受けた一人一人が、日々の行動につなげていくべきだと思っています。

瓦礫づくりの店舗、手掘りの井戸で、泥にまみれて家業復興に取り組む佐藤さんがここまでやっているのです。

It’s our turn.

 

End (古森)

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