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2011年12月(1/3)

9月から開始した、月に一度の陸前高田訪問。
今回の訪問のおもな目的は、11月に立ち上げた「Komo’s英語音読会」第二回目の開催。被災地復興の青写真の中には、必ず海外との交流が入ってくる。自分はその一助になりたい。

初回に小学生から大人まで16名の登録があり、今回はその方々のフォローと、新規に参加を考えている方々へのイントロダクションの両方を実施。金曜日の朝4時に自宅を出て、一路東北道へ。気温は2度。スタッドレスに履き替えたので足元がなんとなく柔らかくて気持ち悪い。が、昼過ぎには一関インターを降りた。

今回は助っ人が2人。大阪から、Sさん(前々職の仲間)。もうひとりは、東京からFさん(今の仕事仲間)。Fさんは奥さんとお子さんを連れて3人で。Fさんは新幹線+レンタカーで現地集合なので、Sさんを気仙沼駅でピックアップ。気仙沼駅の駅舎の屋根には、カジキマグロの絵が描かれている。

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少し待ち時間があったので、駅前の「ますや食堂」に入ってランチを食べた。すご~く昔からありそうな、ひなびた地元の定食屋さん。

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「気仙沼ラーメン」を注文。麺のほうは、いわゆるラーメン通の人がうなるようなものではない・・・。が、スープは魚系のダシで、お世辞抜きにとてもおいしかった。

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1時40分にSさんをピックアップして、毎月恒例の気仙沼港の様子見。先月から急に瓦礫に撤去は進み、更地が増えた。今回はさらに片付いていた。依然として破壊されたままの建物もあるし、鹿折地区に打ち上げられた「第18共徳丸」もそのまま。でも、その周囲はずいぶん片付いてきた印象。

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地元の人は別の意見があると思うが、あえてよそ者の視点でいえば、こういうモニュメンタルなものは一部残したほうが良いと思う。
「Tsunami Memorial Park」などにして、海外からの訪問者のデスティネーションにしてはどうか。それなら自分も海外から人を連れてくるイメージがわく。

45号線で陸前高田へ。
気仙中学校のまわりは、さらに片付いてきた。ここから先は、解体判断の是非などもあって、ペースが落ちるかもしれないが。

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入り江をはさんで気仙中学校の向かい側にある「一本松」は、相変わらず。

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最初に見たときは葉が完全に枯れていたが、12月になっても同じ姿。なんとか生命が保たれているのだろうか?
高田市街跡のMAIYAの廃墟。毎月必ずここに来ている。

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ここはどうするのだろうか。やはり解体?
もし僕が何でもやっていいと言われたら、MAIYAから市役所、交番、消防署、体育館までの範囲の廃墟をやはり「Tsunami Memorial Park」みたいな指定地にする。そうすれば、後世に今般の被災の悲惨さ、自然の力の恐ろしさを伝えるモニュメントになるし、海外や域外からの訪問者のデスティネーションにもなるのだけどなぁ。
MAIYAの仮設店舗前の交差点は、長らく信号がなく、大阪府警の方々が交通整理をしていた。つい先日、ついに信号が設置された!

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ずいぶん便利になった!東京では信号など当たり前の光景だが、こうしてみると信号がいかに便利ですばらしいものか分かる。
夕方。土日のセッションで使用する会場の現況を確認した後、一同そろってOさんの仮設住宅へ。Oさんは、9月の初訪時から縁ができた「陸前高田の母」のような人。

Oさんは、「Komo’s英語音読会」の現地での告知活動を積極的にやって下さっている。今回は100枚の告知ビラをお送りしたが、なんと全部配って頂いた!6人で鍋を囲んで、陸前高田の近況、復興の課題、英語音読会のことなど、いろいろと話した。復興に向けては、まだまだ課題が山積・・・。

18時半に、Fさんと2人で英語のセッションに出発。金曜の夜は、別の仮設住宅のほうに行き、小学生2人の個別レッスンを引き受けている。小学校5年生のYちゃんは、ハリーポッターの原書の最初の1ページと、2ページ目の数行まで自習してきていた。自分で辞書をひいて、ノートに書いて。すごい!

1時間半ほど、一緒に音読したり意味を確認したり発音を矯正したり。かなり濃くやったので疲れたと思う。でもYちゃんは「疲れたけど、楽しかった~」と言ってくれた。小学校4年生のYちゃんは、さすがに英語の基礎もまだなので、音読の自習は進んでいなかった。でも、月に一回英語に親しむ機会があればまずはOK。

こちらのYちゃんは、今回はFさんが担当。「奇怪なサーカス」の原書の1ページ目を見ながら、そこに出てくる単語にまつわる簡単な英会話をいくつか。終わったあとに、僕に向かって「Do you like ●●?」など、「like」を使った簡単な疑問文を投げかけてきた。おお~っ、やるなぁ!

二人ともほんとに優秀だなぁ。ちゃんと続けていけば、10年後は明るい!

21時半ごろにOさんの仮設に戻り、しばし皆でお茶を飲みながら話をした。僕とFさんがセッションに出ている間、残った3人はOさんの話をいろいろと聞く機会があったようだ。津波とその後の激烈な日々の生き証人であるOさんの話は、ほんとうに濃い。一人でも多くの人にOさんの話を聞いて頂きたいと思う。

宿泊先の鈴木旅館にもどり、長かった一日を終えた。

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