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2011年11月(1/3)

今月は11月4日(金)を休んで、3日~5日の日程で陸前高田へ。9月の初訪以来、毎月一回のペースで行くことにしている。
今回の目的は、前回訪問時に突如ひらめいて準備を進めてきた、英語学習のセッションを開始すること。

1月に出版した『英語は音読だけでいい!』(かんき出版)に書いた内容をベースに、毎月一回の訪問機会を活かして被災地の子供たちの英語学習の「ペースづくり」を支援する。
月に一回なので、いわゆる学習塾のようなことはできない。僕にできることは(かつ、やるべきことは)、英語学習の姿勢と方法に関する真実を伝え、それに基づく自学自習がまわるように働きかけていくこと。

もちろん、非営利の個人的活動。
そもそも、本の印税は初回頭打ち方式で会社に納入した。今となっては印税自体どこにも入らない。そういう本なので、震災の有無に関わらず、最初から非営利の思想で英語学習に関する真実を世の中に伝えたい・・・と思って書いたのだった。

11月3日は移動日。翌4日の朝8時に、この英語音読会の件で陸前高田市の久保田副市長に面会するアポをいただけたので、前泊することにした。

いつものように一関インターから気仙沼経由で陸前高田に向かう。毎月一回立ち寄ると、物事の変化が良くわかる。
先月の段階で漁船がかなり動き始めていたが、今回はさらに稼動している漁船が増えたなという印象。
船で仕事をするお父さんを見上げる子供・・・なのかな?普通の漁港の日常の一こまが、戻ってきている。

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これは、イカ釣りの船だろうな・・・。漁火の照明をいっぱいつけて、夜の出港を待つ漁船がたくさんあった。

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なんと、船の脇で魚釣りをしているオジサンもいた!釣り糸の先にある海の中を見てみると、色々と小魚が見えた。アジかな?海に普通の生態系が戻ってきている。先月はじめて立ち寄った「お魚いちば」。相変わらず生鮮モノの量は限られるが、店内にはかなり人が来ていた。

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小売の常識からして、まだ儲かる感じではないなぁ・・・と思いつつ、賑わいが増していることには明るさを感じた。
まだこんな壊滅的な景色も残ってはいるものの・・・。

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前回まで地盤沈下のせいでたっぷり浸水していた道路は、土が盛られていて、浸水はなくなっていた。70センチくらい、場所によっては1メートルくらい土を盛ったのではないか。かなりの高さだ。

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極めつけは、この船の脇に舗装された道路が通ったこと。9月に来たときには、この船のそばであまりの惨状に立ち尽くして涙を流した。かなり景色が変わってきた。確実に物理的な整理・修復は進んでいる。

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遅い、進まないと言われてきた瓦礫の撤去や道路の補修などが、大きく前進した感じだ。

規模はまったく違うが、自分で開墾したり整地したり小屋を立てたりしている日曜大工の皮膚感覚からして、この修復力というのはすごいと思う。ものすごい変化。

ちゃんとお金が入って重機や設備が動くようになれば、これだけ急速に修復されていく。色々言われるけれど、日本の土木・建設界のパワーと技術は、やはり素晴らしいものがある。たぶん世界一だ。
ただ、これは撤去や修復なのであって、復旧には至っていない。ましてや復興ではない。

また、復興の最大の課題は、こうした目に見えるハードの復興ではなく、最終的には人々の心の中のソフトの復興だ。課題は急速にハードからソフトへと広がっていく。

暗くなる前に陸前高田に入り、支援仲間や顔なじみになった地元の方々とご挨拶。訪問3回目だが、ここは僕にとって「地元」のひとつになった。まったく何の脈絡もなかった場所だったのに、急速に人の輪がつながっている。
ここの土地にも人たちにも、縁があったとした言いようがない。I was meant to be here だ。

使用予定の「とうごう薬局」脇の会議スペースの状況を確認。明日の設営作業の目算をつけてから、宿泊先である玉之湯へチェックインに向かった。いつもの鈴木旅館が空いていなかったので、今回はこちらへ。

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玉乃湯は、別名玉山温泉という。もとは金山があった場所で、ここの湯に入ると皮膚病が治るという話。地元の人々が昔から大事にしてきた「霊泉」。富士吉田の「不動湯」と似ているな・・・。

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施設は陸前高田市の運営。竹駒神社から4キロほど山道を登った場所、山のほぼ頂上付近にある。背後の雑木林がそろそろ紅葉し始めていて、美しい。

その後、竹駒小学校の仮設住宅に戻り、Oさん宅におじゃまして、夕食を一緒にさせていただいた。Oさんの義理の弟さんにあたるS平さんとも初めてお会いした。車なので、飲めなかったのが残念!

Oさんは、今回の英語音読会のことをすごく応援して下さっている。なにしろ、「とうごう薬局」が立っている場所は、震災前はOさんの家があった場所なのだ。

震災前は、福祉の道を究めつつ過労でお亡くなりになった息子さんの遺志をついで、高齢者が集まることのできる場を自宅に構え、立ち上げようとしていた。その矢先に、津波に全部やられた。
お子さんを亡くし、その遺志をついで作り上げようとした「場」も破壊され、何もかも失った。

その土地に、「とうごう薬局」がある。僕が親しくしている支援団体、「LOTS災害支援団体」のリーダーの富山さんが、震災後にこの地で薬が極度に不足している状況を見て、薬局を開設したのだ。Oさんと富山さんとも、奇妙な縁でめぐり合っている。
Oさんはその設立条件を、「人々が集まることができる場所を併設すること」とした。まだあきらめていないのだ。

その集会スペースは、これまで支援物資の倉庫になっていたが、今回の英語音読会をひとつのきっかけにして、本来の用途に変わっていく。
また、専門の理学療法士さんも常駐することが決まったようだ。英語音読会は月に一回だけなので、日常はまさにOさんの念願であった高齢者が集まる場になっていく。

そうしたOさんの思い、そして被災地支援活動の拠点になっているこの薬局に集う多くのボランティア、支援活動家の思いの詰まったこの場所で、英語音読会は産声をあげる。

鍋ものが食べたかったので、一関のイオンで土鍋を買ってきてOさん宅に持ち込んだ。図々しく、「今日は鍋にするから。」とか言いながら(笑)。その鍋で、皆で晩ご飯を頂いて、翌日の準備設営、翌々日の本番への鋭気を養った。

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