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被災地での明るい兆し(1/2)

震災から半年の節目に初めて訪れた陸前高田。それ以来、毎月一回行くと心に決めた。はやくも一ヶ月がたち、この金~土で二度目の訪問。
「被災地支援のボランティアで行った」というのとは、やや趣が違う。大きな文脈は間違いなく復興支援なのだが、動きとしてはより個人的なもの。

まず、先月来考え続けてきた「被災地のために今後何をするか」という問いに対し、現地の空間の中で答を出すこと。
そして、前回訪問時に縁が生まれたOさん達に会って話を聞いたり、こちらの話をしたり、諸事お手伝いしたりすること。もちろん、仲間である災害支援チームのほうで仕事があれば、それもやる予定で。

金曜日は、朝5時台に自宅を出発。一関インターを降りて気仙沼経由で陸前高田に向かった。
仮設住宅のほうで「暖かい下着が欲しい」との声があるとのことで、一関のイオンで男性用のズボン下を20着ほど購入。

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支援物資の流入が地元の小売業再生の足かせになるという声もある。でも、こんな風に地元で買って持っていくのであれば、その問題も解決できる。
気仙沼街道を通り、気仙沼港の周辺へ。いたるところで、相変わらず冠水している。

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行く手を阻む、水・・・。潮が満ちてくると道路が水没。

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鹿折地区の船も、このまま。(これは、このままモニュメントとして残して欲しい)

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しかし、明るい兆しもたくさんあった。まずもって、漁船が整備されて動いている。漁師さんが忙しく船上で仕事している。普通の港の風景だ・・・。

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港のそばにある、「お魚いちば」。まだ数は少ないものの、一応鮮魚がある。その他は加工品でとりあえず棚を埋めてあるが、頻繁に人が出入りして、商いが生きている雰囲気がある。

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市場の奥に、「鮮」というレストランがあった。7月26日にオープンしたのだそう。お客さんで満席、入り口で名前を書いて15分ほど待った。海鮮モノを中心に、麺類から定食まで色々メニューにある。その中で一番豪華な「港町丼」2000円を頼んだ。なかなかのボリューム。

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気仙沼方面に行くことがあったら、寄ってみてはいかが?目の前が漁港だし、活気があるし、ここはお勧め!テレビの取材も来てた。
大火災で地獄絵図になった鹿折地区の海沿いのエリアも、この一ヶ月で随分様変わりしていた。この写真だけ見ると瓦礫の山に見えるが、一ヶ月前にはこのあたりは住居などの残骸が手付かずで残っていた。瓦礫は残っているが、構造物はきれいに撤去されている。進歩だ。

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気仙沼から陸前高田へは、45号線で一本。海沿いを走る。なんだかもう、地元みたいな土地勘。地図もカーナビも不要。
仲間がいる拠点について、イオンで買ったズボン下を下ろし、Oさんに電話。「一ヶ月ぶりに来たよ~」ということで、しばらく話していた。そしたら、Oさんは仮設住宅から買出しに向かうバスに乗り遅れてしまった・・・。では、ということで、一緒に買い物に行くことに。

その前に、一緒に畑へ。Oさんが自分の土地を仮設住宅の人々に貸し出して畑にしている場所がある。行ってみたら、先月お会いしたおばさんのうち一人が来ていた。「久しぶりだね~」とご挨拶。記念撮影なんかもしたりして・・・。

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そうこうするうちに、何人かの方々が仮設住宅から畑のほうに出てきて、しばらく井戸端会議。秋~冬の野菜作りのことで話しこんだ。畑のことだから、妙に話があう!その後Oさんを車に乗せて、世田米(せたまい)のコメリとスーパーへ。コメリでは、花壇に植えるパンジーを40株、それに水仙の畑に足す培養土を5袋。

このあたりも、勝手知ったる世界。妙に話があう。なりゆきで、Oさんの仮設住宅におじゃまして一緒に晩ご飯を頂くことになった。スーパーで食材を購入。現在72歳のOさんは、僕の2歳下にあたるお子さんが昨年他界され、ご主人は震災後体調を崩して入院中。お一人で仮設住宅に入っておられる。

たんすの上に、なくなられたお子様の遺影があった。日本でも屈指の介護福祉関係の専門家だったらしい。責任感が強く、寝ずに働き通して過労でなくなったのだそうだ。食事には、災害支援の仲間2名が合流。Oさんのまわりには、いつも人が集まる。地元の人、災害支援の人、ボランティアで来た人・・・。

Oさんはそういう人だ。会う人に何か影響を与えずにはいられない人。旧家で育ち、旧家に嫁ぎ、旧家の礼節を守り、今は震災の語り部となった。食事後もお互いのことを長々と話して、21時近くまでいた。Oさんの涙を何度も見た。会って二度目なんだけどなぁ・・・。縁があったんだな。ちなみにうちの母と同い年だ。縁?

21時過ぎから、災害支援のリーダーTさんとその仲間達と会議。僕自身の今後の被災地支援の方向性についてブレーンストーミングさせて頂いた。これが今回の重要な目的の一つ。

滞在先の鈴木旅館に帰り、地元のコンビニで買った震災関連の写真集などを見る。Oさんから頂いた陸前高田の地元の写真館が作成した写真集も。

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地元岩手のワインを飲みながら、涙して就寝。本当に日本有数の美しさを誇った海岸の町。以前の姿を写真で見ながら、今の現実の写真を見て、やりきれなさを抱えたまま寝た。

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