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12.162015
はなそうツアー 2015年11月28-29日

ツアーの目的
日本が、3.11の大震災(特に津波)で被害を受け、間もなく丸5年となります。
甚大な被害を受けた三陸地方に、興味を持っていただいた皆さんに
「津波が奪っていったもの、現在の復興の様子、変わらない海の幸の美味しさ」を紹介し、
三陸地方の今を感じていただいています。
ツアーの内容
初日
東京駅から東北新幹線で一ノ関駅へ。一ノ関からはレンタカーで大船渡市へ移動。
新幹線が動きだしたのち、私はFさんから予定の新幹線に間に合わないと
連絡が入ってることに気づきました。(時すでに遅し)
慌てた私は、「次の新幹線なら、一ノ関で合流できます。」と連絡。
Fさんからは「それにも間に合いませんでした。」との返事…
私たちに 、その又次の新幹線を待つ余裕はありません。
私からは、「一ノ関で大船渡線に乗り換え、気仙沼でBRT(大船渡線代行バス)に再度乗換え、
終点『盛駅』までお願いします。」としか返事が出来ませんでした。
Fさん 進めば進むほど寂しくなる田舎道を一人旅をさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
希望の架け橋
私たち一行は、途中、陸前高田市で休憩。
今年10月に役目を終えた大型ベルトコンベア「希望の架け橋」が無くなった風景に一抹の寂しさを感じました。
※「希望の架け橋」 地元の中学生が名づけた大型ベルトコンベア。
高台移転先の造成地とすべく山を削り、その土砂を高田町全体のかさ上げに使用。
この大型ベルトコンベア「希望の架け橋」は、別の場所で新たな役割が待っているとのこと。
新たな場所で「希望の橋渡し」をしてくれることでしょう。
この2年半、本当にありがとうございました。
大船渡市 三陸町吉浜地域
高級中華料理で耳にする「キッピンアワビ」。その「キッピン」とはこの吉浜(よしはま)のことです。
今回はその吉浜地域を、「吉浜教えの里プロジェクト」副代表のKさんにご案内していただきました。
http://yoshihama-oshienosato.jimdo.com/
Kさんと三陸鉄道南リアス線吉浜駅で待ち合わせし、昼食を食べにKさんのご実家へ。
そこで別ルートで吉浜入りしていたIさんと合流しました。
Kさんが手配してくださった、お弁当をいただいたのですが、
お弁当の他に、Kさんのお母様が用意してくださったお味噌汁や漬物。
解禁となったばかりのアワビのお刺身とまるで竜宮城のご馳走のような昼食でした。
なお、吉浜地域では「アワビのお刺身」は醤油につけて食べるのではなく、〝醤油”と〝酢”で和えていただくそうです。 同じ大船渡市出身である私は、アワビは醤油につけて、コリコリとした食感を楽しんで食べるものだと思っていました。
実際にこの食べ方で食したところ、柔らかく甘くて、本当においしいアワビの刺身でした。
その後、一行は吉浜ツアーと称してKさんに吉浜地域を案内していただきました。
まずは、築120年の気仙大工が建てた古民家(建坪100坪)を見学しました。
もちろん、現役の住宅で、ご当主に説明していただきました。
奥座敷、座敷、仏間、客間、玄関etcと部屋数の多さ。また最近巷でみかける畳よりも一回り大きい本来の畳。
同じ六畳間でも我々の知る六畳間に比べ断然広いのです。
また、欄干などに施された細工などは、まさに気仙大工のこだわりと技術の数々。
一見の価値ありです。是非とも脚をお運びください。
*気仙大工
江戸時代初期から続く陸前高田市小友(おとも)町出身の大工たちが発祥(諸説あり)。
その技量の高さから民家だけでなく、武家屋敷、神社・仏閣などを手掛けたとのこと。
「津波石」
昭和八年の三陸津波で打ち上げられた津波石に
200m先の河口から打ち上げられ、重量八千貫と彫ってありました。
その後の道路開発等により埋められ、人々の記憶からも薄れていたとのこと。
それが、東日本大地震による津波により道路のアスファルトが剥がされ、津波石の頭が顔を出しました。
「確か、このあたりに津波石があったはず…」と当時を知る人たちが石の周囲を掘ったところ「津波石」の文字が。
その後、復興のために道路整備を行っていた重機で津波石の周囲を掘ってもらい、津波石の全容が明らかになりました。
強風の中、説明されるKさん。
お話を伺う参加者のHさんとKさん。
「吉浜教えの里プロジェクト」のお手伝いもされているIさん
明治、昭和、チリ地震と近年だけでも三度の津波被害を受けた三陸地方。
当時の村長、町長などのリーダーシップで、高台へと住居を移した吉浜地域。
高台に住み続けることを当時のリーダーたちが決め、他の住民たちは、その指示を守り続けました。
残念ながら、東日本大震災の津波では、海の近くで作業されていた方、お一人が亡くなられています。
それでも、犠牲になった方が、お一人であったということから国内外から「奇跡の集落」と呼ばれております。
漁業を生業とし、海辺で生活している住民にとって、徐々に海に近づくのは必然です。
自然を相手に生活する住民の 安全確保と作業の効率性のバランスの重要さを考えさせられました。
吉浜ツアーを終えた一行は、ようやくFさんが待っている盛駅へ。
無事、合流し、今回のツアー参加者が全員そろいました。
次の見学先、「酔仙酒造」へ向かいました。
「酔仙酒造」
はなそう基金の皆さんには、おなじみの「酔仙酒造」。
今回も無理を言って見学させていただき、丁寧な説明もお聞きできました。
夏過ぎに始まった「雪っこ」は、訪問した日も、まだ製造されており、春先までは充填作業が続くとのことでした。 工場内には、様々なものが飾られていました。
・陸前高田市にあった工場の被災直後の写真
・陸前高田市の工場で柱だけとなった3階の柱に引っかかっていた酒樽の写真とその酒樽
・新工場を建設する際に援助してくださった企業の方々などの写真
・Jリーガーのサイン入りユニフォームなど
日本酒の造り方の説明を受け、試飲させていただき、それぞれの酒の特長を理解できました。
各自、お気に入りをその場で購入し、お礼を言って入り口を出ようとした瞬間。
Kさんの手元から何かが滑り落ちました。購入したばかりのお酒が…
酔仙スタッフの方が、割れた瓶を片付け、床の清掃をしている一方、
別の方が同じお酒を目の前に…。
謝りながら受け取りを断ろうとするKさん。押し問答の末「では、支払います」とKさん。
それを受け取る素振りすらを見せないスタッフの方々。
その姿に参加者一同心をうたれ酔仙酒造を後にし、本日の宿泊先である「海さんぽ」へ。
「海さんぽ」
今回の宿は碁石海岸の前にある「海さんぽ」です。
海岸線と同じ高さにあった以前の建物は全館流出してしました。
それから2年。裏山を整地し、新たにオープンした民宿が 「ごいし荘別邸 海さんぽ」です。 楽しみにしていた晩ご飯。
突き出しと鍋を見ただけでお腹いっぱいになったのですが、
さらに 天ぷら、鯛の尾頭付き、エビの塩焼きと続き、鯛めしにデザートと続きます。
思いのほか、お酒が進まなかったのは本当にお腹いっぱいだったからです。
二日目
昨日の北風と異なり、凪の朝です。 日の出が見ることができるかなと外へ出てみるときれいな朝焼けでした。
また、明けの明星 金星が明るく輝いていました。 昨日の北風と異なり、凪の朝です。 日の出が見ることができるかなと外へ出てみるときれいな朝焼けでした。
また、明けの明星 金星が明るく輝いていました。 チェックアウト後、ご主人にも入っていただき集合写真。
「がんづぎ」
HさんとKさんのお二人のリピータががいらしたので、サクサクと作業は進みました。
白砂糖ver.と黒砂糖(玉砂糖)ver.の2種類が、あっという間に完成。 また、Iさんは私の父につかまり、マンツーマンのPC授業。Iさんありがとうございました。
がんづきを作るのは、そんなに難しくないのかと思います。ご自宅で実践してみてください。
ご参加くださった方のご報告をお持ちしております。
気仙地区風蒸しパン と言うとイメージしやすいでしょうか。
レシピがご入用の方はご連絡をお願いいたします。
陸前高田市
音読会@陸前高田やはまらっせん農園でお世話になっているOさん宅にお邪魔しました。
略式とはおっしゃっていましたが、お抹茶をたてていただき、非常に緊張してしまいました。
「ゆべし」「米崎リンゴのコンポーネ」「おもち」「お漬物」などなど美味しくいただきました。 山茶花の苗の間に入っての一枚。
Oさん宅を15時過ぎに出発し、紅葉シーズンは眺めが素晴らしいループ橋、5月には藤の花が美しいげいび渓脇を通り一ノ関へ。
Fさんは、大船渡線は偶然ポケモン列車だったらしく、げいび渓駅でもスタンプラリーを楽しまれたようでした。
私も時刻表を見て、心惹かれているポケモン号ですが、タイミングが合わず乗っておりません。
今度、詳しくお聞かせください。
東京駅に20時頃到着し、無事、今回のはなそうツアーは終了いたしました。
次回は、暖かくなった春以降に実施したいと考えております。
ご興味のある方のご参加をお待ちしております。
Atsushi.k
Fさん、Kさんの件はお二人の了解をいただき載せております。